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遊びと文化。

こんばんは。森本瑛です🍵

今日はとあるライブに行ってきました。いやあ、とても良かったな、と興奮したまま家に帰ってきたのですが、

「あれ、日記。。」

と思ったので、今日も書いていきます。

まあ、糸井重里さんも毎日書いているみたいなので、僕もつづけようかなと思った所存です。

その過程で、もし僕の日記を見つけていただけたのら幸いです。あんまり大したことは書いてませんが、そこそこお力を入れてがんばってます。(ユーモアが難しい)

あ、日記を始める前に糸井さんのほぼ毎日日記のリンクを貼っておきますね。僕はこれを読んで寝るのが日課だったりします。

では、いきましょう。

ところで、ところてん。

さあ、今日のテーマは遊びと文化についてです。

最近なんだか「文化」というキーワードが気になって気になって、ムズムズしていました。

どうして「文化」というキーワードが気になったのかというと、「文化」はどうやって形成されていくのか、そして「文化」をつくるためにはどうやったらいいの?そういったことに興味があったからです🍵

そして、調べてみました。よっGoogle先生、出番だぜ。

ちょっと話は逸れるのですが、ここ1か月くらいでよく「chatGPT」という言葉をよく聞きます。Google先生の代わりになるのだか、ならないのだか。

とりあえず使ってみるのは大事だとして、僕はまだGoogle先生を使っています。大丈夫、まだ浮気はしないぞ。

ということで調べてみました。「文化」

するとですね、結構スクロールするとおもしろい記事や言葉があったんですよ。

それが「遊び」と「文化」という言葉です。

よくよく考えると、遊びと文化って結構密接だったりします。

祭礼行事はもとより、音楽、文学、哲学、演劇、舞踏、スポーツなどの「文化」と聞いて誰もが思い浮かべるもののほか、商業、工業、近代科学、裁判、議会政治、戦争なども、その範疇にある。文化というより人間の営為すべてと言った方がいいくらいである。
https://news.kodansha.co.jp/5985

このようなことを書いてある記事もありました。

自分にとって遊びだと思えることが、文化の形成に関わる。

まだまだ知識不足ですが、人間の進化を学ぶと、ここら辺が見えてきたり、文化人類学という学問や民俗学などの学問を学ぶと、少し近づける気がしています。

自分にとっての「遊び」という定義を再発見する必要がありそうです。

また進展があれば、報告します。

良い夢を!good night!

もし、記事を読んでみて笑ったり、感動していただいたり、心が動いたりしてくれたのならそれ以上の喜びはありません。心からの“感謝”をあなたに、ありがとう。