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いつだって私達は成長を求め、希望や願望によって生かされている

コツコツと積み上げてきたもの。
繰り返し試してきたこと。
成功を目指して失敗し続けてきたこと。
度重なる軌道修正をしていること。



いわゆる試行錯誤は、
誰しもが、日常的に、行っています。
「今日も試行錯誤していこう!」
みたいな意気込みは無くとも、です。
意識的にやっているかは置いておきます。



今が平凡なら、満足な日々を。
今が退屈なら、より楽しく心震えることを求めて。
今が不幸なら、少しでも幸福に近づけるような。
今が絶望なら、掴めるワラや糸はどこかと。





現在位置と目的地は違えど、
より良い時間、より良い日々を求めて、
広い意味での「試行」「挑戦」「思案」が、
頭の中でも、心の中でも、動いているはずです。
あるいは、
そうしたいけど出来ない!という「葛藤」
といった面も含めて。



目指す場所が、
「平凡さ」であっても、
「特別性」であっても、
「幸福」であっても、
「満足」であっても、
やはり私達人類が求めているのは【成長】です。




「成長なんてしなくていいから、現状維持で」
という声があるかもしれません。
今が厳しすぎると、幸福よりも、
まずは安定や平穏を求めてしまうので、
それはしょうがないことです。
ただ、冷静に考えてみると、
(例えば他人事のように)
現状維持するにしても、
【ある程度、または、ある方向性の成長】
は必要でしょう。



現状・環境・体調などで、
頭と心は左右され続けますが、
根本的に私達は、
成長を渇望し、歓迎し、喜び、尊ぶ…
そんな存在だと思うのです。



【成長】に紐づくこととして、
【拡大】や【変化】があります。
どちらも文字通りですが、
【その2つは目的ではない】
という点は重要です。
意外と知られていないというか、
ちょっとした盲点になり得る、と言えます。



拡大や変化は経過あるいは結果です。
広がっていく、広がった。
変わっていく、変わった。
というように。
「私は変わっていかなければならない」
「私は変わりたい」
その向上心やモチベーションは良きものですが、
「なんでもかんでも変われば良い」
「とりあえず変われれば良い」
という安易な真意ではないでしょう。



「○○になるため」
「○○を得るため」
「○○を達成するため」
何らかの目的(あるいは目的地)があって、
今の自分が、
今までのやり方、思考、習慣では、
到達出来なさそうだから、
「じゃあ、変わらなければならないな」
「じゃあ、変わりたいな」
という変化を求める思考になったはずです。



まず願望があり、
達成するために、
変化や拡大を求め。
舵をきる。



- 生まれ出たもの -



成長も、見方次第では、
これらと同じように解釈できますが、
意味合いは異なってくると思います。
成長という言葉はもっと広く、
経過にも結果にもなるし、
目的にもなり得ます。
【あらゆる面で、自分を成長させていきたい】
そんな文言が成立しているように。



変化しようという心持ちは、
決して悪いものではありませんが、
一歩、自分の奥に踏み込んだ時、
「なぜ変化しようと思っているの?」
に返答できるか否か。
曖昧でもかまいませんが、
何かしらの目的や願望があってのことなのか、
という点は、おおいに重要になってきます。



目的地は、ある意味で未開の地。
少なくとも、自分自身にとっては未開拓なので、
「あれはこうして、ここをこうして、次にそれを…」
なんてことが、
出発段階からわかるとは限りません。
行ってみなければ、
進んでみなければ、
踏み込んでみなければ。



なので、
変化したい気持ちの奥底にある願望が、
必ずしも明確でなければならない、
なんてことは無いです。
細部まで決めている必要はない、ということです。



とはいえ、
ざっくりした青写真はあるはずです。



もし無いならば、
あるいは、
単語ひとつで終わるような願望ならば、
それは、あなたの願いでは無いでしょう。



単語ひとつで終わるような願望というのは、
例えば、
「幸福」「満足」「安定」「充実」「平穏」など。
どれも単語ひとつです。
それが願望だと言うならば、
今のうちに、もう一歩でも二歩でも、
自分自身の奥へと踏み込んだ方がよろしいかと。
【幸福とは何でしょう?】



とはいえ、例外もあります。
「願望も何も、よくわからないから、とりあえず動いていみる」
という指針の場合です。
八方塞がりとか、
押しても引いてもびくともしないとか、
そういう場合、
「とりあえず変化してみる」
という、
変化すること自体を目的にすることが成立しています。
意識的に動くことで、
願望や、打開策や、案などが
生まれてくるかもしれません。



【願えば叶う】
数々の書籍、多くの人達が、
手を変え品を変え、
言葉を変え表現を変え、
しかし、同じようなことを言っています。
やはり、これは真実の一端ではあるのだと思います。



ただ、そうは言っても、
なかなか納得のいく答えを得られていない人も、
また数多くいるように思います。



とはいえ、願望は持つに越したことはないです。



いつだって、
私達を激励し、
どん底から這い上がらせてくれるのは、
希望であり願望です。



叶うか、叶わないか。
それは確かに重要ではありますが、
願望を持たずして、叶う叶わないも無いです。



それに、きっと、
【願ったすべてが叶っているわけではない】
でしょうが、
【願った幾つかは叶っている】
はずなのです。



冷静に、
落ち着いて、
他人事として、
親友からの相談事として、
そんな視点でしっかりと眺めてみれば、
【願って、そして、叶ったこと】が、
きっと見つかるはずです。



そしてまた、願っていきましょう。
そうやって見つけたように、
次の願いも、叶うかもしれない、のですから。