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久留米と天神と私と夢

昨日の21:30。
私は久留米駅に向かっていた。

久留米駅にはたくさんのカップルがいた。
私はその間をかき分けながら泣きそうになりながら改札口に向かった。

電車に乗り込みそして発車してしまえばもう久留米がどんどん遠のいて行って窓辺に映る景色を眺めていたら色々考え込んでしまった。


以前知り合いと飲みに行った時。
知り合いが「僕はね、久留米が大好きなんだよ。本当にここで人生を終える覚悟でいる」と少し酔っ払いながら言っていた。
私は彼がまだ若いというのにそんなことを、“ここで人生を終える覚悟でいる”なんて言うからその場では吹き出してしまった。
私が吹き出すと周りの人たちもつられて笑っていた。
けれどもあの「久留米で人生を終える覚悟でいる」という言葉が時々ずっと私の心の中をこだましたりする。


数年前。
私は福岡市に一般就労することが夢だった。
私にとって久留米という土地はどうしても合わないと思い込んでいたからだった。

毎週末必ず福岡天神に行ってたいして何も買わないというのに色々周って「ああ都会って最高だ、絶対ここに就職したい、ここに住みたい」ってそうずっと思っていた。

その夢に向けて必死でデザインとかライティングの勉強を頑張っていた。

ただ久留米市にあるTANOSHIKAに通うようになり、そして実際に久留米市に住むようになってから私の心は徐々に変化していった。
久留米は居心地がとてもよくて、久留米は私にとって大好きな場所になったのだ。

久留米を好きになったあたりから夢への希望もどんどん薄らいでいった。

正直今は一般就労したいなんてこれっぽっちも思えない。
今の職場TANOSHIKAが好きだし、この温かい久留米市から出たいなんてとても思えない。

毎日が怠惰になっていっている。
夢が消えたその辺りから私はただ食べて仕事して寝ての繰り返しだ。


私に故郷はない。
家が転勤族だったから九州の各地を転々としてきた。
生まれたところはあるけれどもそこはただ「生まれた」だけであって出身地として名乗れるほどのものではない。

私はずっとずっと故郷を探していた。
故郷がない...という事実は私にとって凄まじくストレスだった。

まるで根のない花のような気分だった。

そんな私は久留米に出会って心の故郷ができた気がしてなんだか嬉しくてたまらなかった。

「ここで人生を終える覚悟でいる」
あの男の子の言葉をよく思い出して何度も考えたりするのは何よりずっと本当の心の居場所を探してきた人生だったからだと思う。

私は一体どこで人生を終えるのだろうか。
そんなことをずっと考えてしまう。


電車を降りて天神に着くと私はその天神のおしゃれさに圧倒されてすっかり縮こまってしまった。
キラキラした飲食店や繁華街、華やかな若者たち。
そんな刺激的なものが一気に目に飛び込んできてクラクラしそうだった。
なんて魅力的な街なんだろうか。
なんて素敵な街なのだろう。
そうやっぱり思った。

でももうここに住みたい、福岡市で一般就労したい...なんて想いは全くないことを再確認してしまった。
やっぱり久留米が好きなんだ、と思った。


ずっとTANOSHIKAにいたい。
私の世界で唯一の居場所TANOSHIKAに。
ずっとずっと久留米にいたい。

これが本音でこれが夢になってしまった。
そんなことは正しいのだろうか。


「ここで、久留米で、人生を終えたい」
私は今あの男の子と同じことをもう一度心の中で思ってしまった。

そしてああ本当に私の人生から完全に夢が消えたんだ...と思ってしまった。
もしかしたら夢はもう叶ってしまったのかもしれない。


そう思ったら私は明日から何を手掛かりに生きたら良いのかもうわからなくなってしまっていた。

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