見出し画像

「本物の作品」とは何か?

note記事を読んでいて、たまたま、佐佐木政治さんの書いた詩に出会った。

既に、お亡くなりの方なのだけれど、娘さんが、作品を発表しておられて、だから、読むことができた。

大学でフランス文学を、学びたいと思いながらも、その夢を断念し、けれども生涯にわたって、詩作を続けた。

亡くなる2年前に、脳梗塞で倒れて、記憶障害や、手の麻痺が起こったのだけれど、そんな中で、動かない手を使って、文字通りの手作りの、最後の詩集「神へ捧げるソネット」を、作った。

私は、詩の良し悪しは、正直わからない。
けれども、「本物だ」と思った。

全身全霊で、魂を込めて作られた、本物。
形ばかりを真似して作られた作品とは、全然違う。

作品がいい悪い、という以前に、作品を心を込めて作っている人間が私は好きだ。

勿論、私の個人的な好みというものがあるから、本当に凄いクリエイターさんがいても、相性が合わなくて、ごめんなさいみたいになることはある。

けれども、本物の作品を作っている人には、絶対に、どこかの誰かが、「好きだ」と言ってくれる。ただ、出会っていないだけで。

「本物の作品」とは何か?

それは、仕事の依頼が無くても、描いた絵。
読む人がいないとわかっていても、書いた小説。
落選するとわかっていても、応募したエッセイ。
届かないとわかっていても、出した手紙。
後世、残らないとわかっていても、スクラップした記事。

歌、ダンス、楽器演奏、
写真、イラスト、漫画、
演劇、彫刻、陶芸、
ゲーム制作、動画制作、

その他の全て、ありとあらゆるもの。

人間の魂がある作品

誰一人、見ていなくても、それでも作りたいと思う人間の魂。

それが、本物。

佐佐木政治さんは、最後の詩集を、神様に捧げました。
バッハは、音楽を、神様に捧げました。

私は、そんな人間の魂を、「好きだ」って、叫びたい。

いや、叫んだらうるさいと言われるのか?
もう、黙って、音楽を聞き、本を読む人に、私はなりたい。

チャリーン♪ しあわせに、なーあれ(о´∀`о)