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体力をつけなきゃ

「車社会だから~」といいわけすることに嫌気がさしてきた。この言葉に逃げて、ずっと身体を動かすのを拒んできた気がする。なぜかこの地に引っ越してきてからなんども聞いた、「車社会だからね」。だからなんだというのだ。

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車の運転はすき。まったく億劫に感じないし、なんにもないまっすぐな道も、山道の連続カーブもすき。運転するという行為は「なにかを制御している」感覚があってとてもたのしい。

おなじ理由でバイクの運転もすき。

バイクはとくに、ギアチェンジしたりブレーキのかけ方だったり、オートマの車よりもはるかにやることが多い。ちゃんと考えて乗ることが必要とされる乗り物だ。

運転はすきなものの、「車社会だ」といわれるとちょっといやな気持ちになる。

車は、移動手段として生活にかかせないものだ。買い物、通勤、送り迎え、旅行…あらゆる場面でのニーズがある。運転したくないけど生活のために仕方なく使う人も少なくはないんだろう。

「車社会」という言葉は「仕方なく運転している人たちの社会」というニュアンスを含んでいると思う。曇り空、渋滞の道を、通勤ラッシュのサラリーマンのようなどんよりした顔でのろのろ進む車たちを彷彿とさせる。

「車社会」という言葉を利用して、この町の誰しもが自らのエネルギーで歩くのを拒否しているんじゃないかと、大げさに恐怖してしまう。

環境のこと、自然のことを詳しく理解しているわけではないけれど、ただぼんやりと「エネルギーに頼り過ぎてはいけない」という信念がある。自分の身体で行けるところなら、自分の力で行きたい。

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定期的に通っている病院は自転車で30分ほど。行けなくない距離。今日わたしは1時間近く自転車をこいだ。

秋晴れの空の中、風を切って走るのは爽快だった。すこし走ると汗ばむくらいの陽気。歩いたり、自転車に乗ったりすると、においや温度、風のつよさなどがわかって、つい全能感に浸ってしまう。

心地いい状態で帰宅したものの、手を洗って一息ついてからがだめだった。

完全に疲れ切ってしまっていた。

自転車をこぎ続けていい気持ちになったものの、体力の限界が来てしまったようで、やる気がまったく湧かなくなった。お酒を飲んだあとみたいだ。飲んでる最中は気持ちいいけれど、そのあと一息ついたらあっという間に酔いがまわってグロッキーになってしまう、そんな状態。

わたしにとってはよくあることで、気分爽快に外出したあとは家に戻るとなににも手が付かなくなってしまう。もう、眠くてしょうがなくなったりもする。

エネルギーを使った代償に充電が必要ってわけか…

そうはいっても、大事な時間がすべて充電にあてがわれるのは困る。
持つべきものはさらなる体力。

こうやってエネルギーを消費して充電して…を繰り返していけば、きっと、体力がともなってくることだろう。そう信じるから、明日もわたしのエネルギーを存分に使ってやろうと思っている。

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