ビジネス・エリートの限界

一橋大学や慶應に顕著であるが、「お金儲け」こそが正義、お金を稼げないと一流ではない、という価値観が急速に広まっている。昭和時代は、小林秀雄、福田恆存などの知識教養人もエリートとみなされていた。しかし、その価値観は徐々に破壊され、財界エリートにこの国は乗っ取られていった。

具体的な話をしよう。その兆候は、中曾根康弘首相の頃に国鉄民営化・電電公社民営化などが進められた。これらは、仕方がなかったと思う。国鉄職員はストライキを何度も繰り返して業務が停滞し、輸送の非効率が目立っていた。電電公社も、長い目で見れば成功だったと思う。NTTデータなどは世界10位以内に入るグローバルIT企業になった。

しかし、その後も新自由主義的な改革は止まらず、小泉純一郎首相は郵政民営化を行った。さらに、歴代政権は官僚を攻撃し、人事権も幹部は内閣が牛耳ることになった。完全に「政治家が上、官僚は下」の構図ができあがった。さらに、経済財政諮問会議においては、財界エリートや経済学者(竹中平蔵)が参画し、民主主義のもとで選ばれていない人物がこの国の経済政策を決めるようになった。

やがて、自民党は経団連と癒着し、ますます、ビジネス・エリートが政治に干渉するようになっていった。

だが、ビジネス・エリートはお金儲けしか考えていない。彼ら彼女らは、「財界が儲かるためのポジショントーク」をしているのだ。

本来は、昭和の知識教養人のような人が対抗するべきであったのだが、一橋大学や慶應だけでなく、東大までもが昨今は年収を価値判断の上位とするようになり、もはや財界ビジネス・エリートに対抗できる人材は少なくなってしまった。価値観が財界ビジネス・エリートと同じ人ばかりなので、「むしろ、そっちに乗っかったほうが自分も得する」と考える人が増えてしまったのだ。

最後の砦は、経産省の中野剛志氏だと考えている。中野氏は知識教養が豊富であり、経済学などの合理的な思考もできる。中野氏の実家は中小企業であり、弱者・庶民の気持ちもわかる。また、中野氏はトランプ氏やバンス氏とは異なり、分断を煽るような攻撃的な人物ではなく、紳士である。ところが、中野氏は政治家には興味がないようだ。

中野氏に続く、知識教養エリートが出てこなければならない。

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