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【エッセイ】旅の土産


日本を離れ、知らない空気に包まれて

知らない土地に降り立った時に私が考えていたことは、味噌と醤油のこと

黄色いエッグを目の前にするとまた味噌と醤油を思い出し
ホテルにチェックインする時も味噌と醤油のことをぼんやりと考えていた

いかにも海外のクッキーという風貌の大きなチョコチャンククッキーを見て
これじゃないやつが欲しいのにとちょっぴ嘆く

1週間ほどの滞在で、実に素晴らしい景色を目に焼き付けて
日本では出来ない経験もしたし
旅の中ではありがたい偶然のラッキーにも遭遇したし
美味しいものも食べた

それなのに、
旅のなかで1番印象深い出来ごとと言えば、味噌と醤油がチラチラと旅の道中に付き纏い
頭から離れなかった事



主婦になり、時たまの子供のいないひとりの夜

ここぞとばかりに、大好きな夜のひとりドライブに出かける
展望台に行き月を眺めてぼーっとする



21時20分前に帰宅して、遅くなってしまったと呟いて

ひとり暮らしをしていた時の過去の自分を思いだす

日付を跨いで、太陽が朝を連れてくるまで車を走らせていた
若い頃の自分はもういないのだと気付かされるのだ




いつだって、自分を縛るものはこれまで生きてきた中で積み上げてきたもので
賢くなることや、物事を知っていく事で失ってしまう自由がある

私の好きな詩の一行の

汚れっちまった悲しみに

中原中也 山羊の歌より

という言葉

この言葉は、どこか自分の中の成熟と共に失っていく何かに思いを馳せる時
必ず頭に浮かんで来る


人生と言う長旅で歩んできた道筋や、経験
溜め込んできた知識

それらはもちろん無駄ではないとしても
手入れをしなければ
知識も経験も体を縛る錆になってしまう

本当はもっと心を空っぽにして何かを感じることが出来たら
本当はもっと自由に動き回れたらと

生活に縛りつけられて
大人になった事を誇らしく思う自分が
子供の自分を眺めて心が小さく嘆く

例えば、背中の真ん中の手の届かない場所に
小さなドアがついていて
そのドアを開けた先に小さなボタンがあり

そのボタンを押したら全ての記憶がまっさらになってしまうとしたら
それを押すだろうか?

そして、そのボタンを押してまっさらになった自分には何を詰め込むのだろう?

何かに影響されて生きて、自分の思惑から外れた何かを積み上げて
本当の事は何かを知らずに、またその場にあるものを取り入れなければいけないのだろうか?

そう考えると自由とは、本当の自分とは何なのか?
今度こそは、自分にメリットのある経験や知識を積み上げて行けるのだろうか?


もしそうだとしても、そのボタンは押さないだろう


どんなに思惑から外れた物を積み上げたとしても
たった一つでも失いたくない何かがあるとしたら
そのボタンは押さないはずだ

自由は形ではない
目には見えない

本当の自分と言う物は、一周まわった先にある様な気がする

全てを受け止め
自分の周りにある材料で
何度でも自分で作り続ける事が自分になるのでは無いか?と思うのだ

だから、ボタンは押さない
だから、これからは味噌と醤油の事は忘れて暮らそ

自分を檻に閉じ込めない事
小さな冒険を繰り返し

何度でも自分を作り変えて行く
自分と言う枠さえも飛び込えて行けるように

そうしたら、旅のお土産はきっと素敵なものになるんだろう



akaiki×shiroimi

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