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「教育」でなく「共育」がいい。それぞれの「意思」を尊重し、「ありのまま」を堂々と生きよう

「教育」と「共育」、よく比べられるが、あたらめて考えてみた。
そして、「今」、どちらが大切なのか。

「教育」は「教え育てる」。
「共育」は「共に育つ」。


結論から言う。

「教育」でなく「共育」の時代である。


大人は、子どもを「教育」することが役目だとされてきた。
これは古来からそうであり、戦後強まり、現在はそれが当たり前。
でも、それが破綻をきたしている。

社会では、他人を騙し、他人を殺める人が多くなっている。
企業間では、競走し自社だけ生き残るというやり方をしている。
学校では、他人をいじめ、他人を不登校に追いやっている。

それが「当たり前」であり「正義」であるかのように。
「自分さえよければそれでいい」と。


それでいいのか。


これらはすべて「教育」にある。
ほとんどすべての人は、学校で「教育」を受けてきた。

「先生」の言う通りに勉強し行動することがよしとされてきた。
それが社会で役に立つと、真面目に学んできた。

そして、今がある。


「教え育てる」ということは、主語が大人である。
子どもは「教えられ育てられる」側となる。

子どもは「言われた通り」にすることがよしとされる。
子どもは大人の言うことに従い、親の言うことをきくことになる。
そこに、子どもの「意思」や「意志」はない。

子どもを「教育」すると、そういうことになる。
その結果が、現在の大人であり、現在の社会である。
大人はそれを自覚し、ふりかえり、改めよう。



もう、子どもを「教え育てる」時代ではない。


大人は子どもを「教育」するものという意識を手放そう。
親は子どもを「育てる」ものという意識を手放そう。

大人や親はそんな力は持ち合わせていないと自覚しよう。

これからは

大人も子どもも「共育」の時代である。


そして、

それぞれの「意思」が尊重され、

それぞれの「意志」を育つようにしよう。



大人と子どもが「共に育つ」、それでいい。
どちらも主語だ。「一緒に育つ」のだ。


大人だから親だからと子どもをちゃんと育てなければならない、
なんて思うことはやめよう。

大人も親もがんばらなくていい。

「いまのままでいい」

そして、
子どもにもそう言ってあげよう。

子どももがんばらなくていい。

「いまのままでいい」


そこから

一緒に育とう。


大事にされなければならないのは、

大人も子どもも、
本人の「意思」が尊重されること、
「意志」を持つこと。


それが

「自己肯定感」を育む。


それがあれば生きていける。

大人も子どもも、
それぞれの「意思」を尊重し、
「いまのまま」を堂々と生きよう。

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