太田昭夫

太田子育て教育研究所・子ども相談所を運営しています。子どもの成長・発達を「愛着」の視点…

太田昭夫

太田子育て教育研究所・子ども相談所を運営しています。子どもの成長・発達を「愛着」の視点から考えると、「シンプルな子育て」がいいなと思っています。「子どもがしてほしいことをしてあげる」「子どもに任せる」ことが大事だと。

最近の記事

大人と子どもが「共に・育つ」関係は、大人も子どもも、自分の「今」を感じ楽しめるようになること

大人が子どもを「教え・育てる」関係ではダメなんです。 何故か。 子どもの「意思」が尊重されないことが多いからです。 というより、多すぎるのです。 というか、ほとんどがそうなのです。 子どもの「意思」が尊重されれば、子どもは「意志」を持てます。 「意思」が「意志」に昇華していくのです。 これが、私たちが生きていく上で重要です。不可欠なのです。 これにより、心身ともに健康に生活していけるようになるからです。 それがなされると、みんなが幸せになれるからです。 ネットで「意

    • 大人が子どもを「教え・育てる」関係から、大人と子どもが「共に・育つ」関係に変わることが、みんなを幸せにする

      子どもは「教え・育てる」ものと思われてきました。 大人である親もそうされてきました。 だから、自分の子どもにも、そうすることしかできません。 その大人が生活している社会もそうです。 子どもは「教え・育てる」ものということが、当たり前と信じられています。 その結果が、今の社会の状況です。 学校に行かない子どもが増え、家に引きこもる大人が増えています。 自殺する子どもも増えているのです。 さらに、「教育虐待」などという言葉も生まれています。 家庭において、親の「教え・育て

      • 子どもは「教育」されるべきもの、と思われてきたため、「いつも精一杯生きよう」「より良く成長しよう」という心を失ってしまった

        子どもは、 「いつも精一杯生きよう」 「より良く成長しよう」 と思っています。 子どもは人間の初期段階ですから、 大人と言われる人も、子どもの時には、そう思っていたのです。 でも、大人になってしまうと、いつの時からか、それを忘れてしまいます。 だから、大抵の大人は、 子どもは、何の力を持っていない、教えなければならない と思っています。 そう考え、子どもに「教育」をしてきたために、 子どもは大人になる過程において 「いつも精一杯生きよう」「より良く生きよう」を思わな

        • 子どもは自ら成長する力をもって生まれてきます。親はそれを見守り一緒に育てばいいのです

          子どもは、 「いつも精一杯生きよう」 「より良く成長しよう」 と思っています。 そうプログラムされて生まれてくるからです。 だから、 外からの「しつけ」などの「教える」という行為は必要ありません。 というより、してはいけません。 子どもは自ら育つ力を持って生まれてきます。「自ら育つ力」を手にして生まれてくるのです。 だから、 「教育」、「教え・育てる」という行為は、子どもを良くない方に導いてしまいます。 子どもは、 これまで、何の力を持たない、何もできない存在と

        大人と子どもが「共に・育つ」関係は、大人も子どもも、自分の「今」を感じ楽しめるようになること

        • 大人が子どもを「教え・育てる」関係から、大人と子どもが「共に・育つ」関係に変わることが、みんなを幸せにする

        • 子どもは「教育」されるべきもの、と思われてきたため、「いつも精一杯生きよう」「より良く成長しよう」という心を失ってしまった

        • 子どもは自ら成長する力をもって生まれてきます。親はそれを見守り一緒に育てばいいのです

          「いつも精一杯生きている」と同時に、「いつもより良く成長しよう」と思っている。子どもはそういう生き物である

          「子どもはいつも今を精一杯生きている」。 子どもはそういう生き物。 手を抜いて生きることなんてできない。 それしかできない。 それが「子ども」である所以でである。 だから、 親は子どもを信じて見守るだけでいい。 親というまなざしをそそぐだけでいい。 「子ども」は、 「いつも精一杯生きている」と同時に、 「いつもより良く成長しよう」と思っている。 子どもはそういう生き物である。 昨日よりもより今日を良く生きよう、成長しよう、 子どもはそうプログラムされて生まれ

          「いつも精一杯生きている」と同時に、「いつもより良く成長しよう」と思っている。子どもはそういう生き物である

          いつも今を精一杯生きている子どもの姿を見守り、子どもを信じて「待つ」しかない

          「子どもはいつも今を精一杯生きている」。 必ず。絶対。 大人のように手を抜くことはない。 発達として、手を抜けない、そうした年齢である。 もちろん、個人差は大あり。 教員だった頃、いつも子どもに「頑張る」ことを要求していた。 日常生活の中で。各教科の中で。 しかし、それが違っていた。 「子どもはいつも今を精一杯生きている」と考えるなら、そうはならない。 どんな時も、その時その場で、「自分なりに判断して精一杯行動している」のだから。 「もっと」、なんて言わないはず

          いつも今を精一杯生きている子どもの姿を見守り、子どもを信じて「待つ」しかない

          子どもは、今生きている瞬間を親に安心させてほしいだけである

          「子どもと一緒にいるとイライラする」という言葉を聞いた。 いつもではないのだが、そんな感情を持つことがあるらしい。 親がそんな感情を持っていることは、口に出さなければわからない、と思いがち。 でも、それは意外とというか、ほとんどが子どもに伝わってしまう。 子どもは親がすべてである。親が大好きである。 だからそれを感じてしまう。伝わってしまう。 これは、今を精一杯生きている子ども、であるが故のものである。 子どもは、心を研ぎ澄まし、その場その時間を生きている。 子ども

          子どもは、今生きている瞬間を親に安心させてほしいだけである

          親が子どものために、なんて考える必要はない。「子どもを信じて、見守ること」それだけでいい

          「子どものもつ力を信じて、ただひたすら待つ」 これを伝えながら、絵本の読み聞かせ活動をしている内田早苗さんの記事を目にしました。 まったく同感である。 「子どもは自ら成長する力をもっている」 10年間の保育所長の中で伝えてきたことである。 そして、「シンプルな子育て」を提唱してきた。 「シンプルな子育て」とは、 「子どもがしてほしいことをしてあげること」。 「子どもがしてほしいといわないこと」は、 「子どもが自分でしたいと思っていること」。 だから、「大人がやっ

          親が子どものために、なんて考える必要はない。「子どもを信じて、見守ること」それだけでいい

          「脱マスク」は「子どもたちが明るく楽しく生きていけるように」必要なこと

          脱マスクの話でもちきりである。 様々な考え方があることは承知している。 それはそれでいい。 でも、マスクをし続けることのデメリットは計り知れない。 マスクをしていなかった3年前とその後の3年間を比べてほしい。 もしかしたら忘れてしまっている人も多いのではないだろうか。 「もうマスク生活に慣れてしまった」 「このままでもいいんじゃない」 大人はそれでいいかもしれない。 (私は嫌なのでお店に入るときにしている程度である。) 子どもはそういうわけにいかない。 「もっと早

          「脱マスク」は「子どもたちが明るく楽しく生きていけるように」必要なこと

          「子どもを尊重して信じること」が私たちを幸せにする

          モンテッソーリーの記事を2つ見つけた。興味津々。 近年、藤井聡太さんがやっていたことで取り上げられるようになった。 タイトルは次の通り。 『藤井聡太竜王も繰り返し折った「モンテッソーリおりがみ」がなぜいいのか。子どもの才能を伸ばす5つの理由』 『「おうちでできるモンテッソーリ教育」の始め方。意外と簡単! 手出し口出しをしない方がいいシーンを解説』 前者はモンテッソーリ教育内容の一つを紹介している。後者は創始者のマリア・モンテッソーリその理念を紹介し、実際のシーンを解説

          「子どもを尊重して信じること」が私たちを幸せにする

          「教育」でなく「共育」がいい。それぞれの「意思」を尊重し、「ありのまま」を堂々と生きよう

          「教育」と「共育」、よく比べられるが、あたらめて考えてみた。 そして、「今」、どちらが大切なのか。 「教育」は「教え育てる」。 「共育」は「共に育つ」。 結論から言う。 「教育」でなく「共育」の時代である。 大人は、子どもを「教育」することが役目だとされてきた。 これは古来からそうであり、戦後強まり、現在はそれが当たり前。 でも、それが破綻をきたしている。 社会では、他人を騙し、他人を殺める人が多くなっている。 企業間では、競走し自社だけ生き残るというやり方をしてい

          「教育」でなく「共育」がいい。それぞれの「意思」を尊重し、「ありのまま」を堂々と生きよう

          私たち「大人」は親は、「正しく」褒めたり叱ったりすることはできない、と自覚し、それを「手放そう」

          「褒める」子育ての記事を2つ見つけた。 なんだか?である。 次の言葉があった。 まさに!である。 褒めるにしても叱るにしても、それは、それをする側が「正しい」のかということ。 「大人」のいうことは「正しい」といえるのか。 「正しい」の基準が「大人」とする親の「価値観」ということになる。 それは、親がその親にどう育てられたかに関わる。 どう褒められ、どう叱られてきたか。 それだけ。 いくら成長過程で様々な経験をし学んだとしても、大方その域を超えることは難しい

          私たち「大人」は親は、「正しく」褒めたり叱ったりすることはできない、と自覚し、それを「手放そう」

          「子どもに任せる」ことが、「子どもは自然」になり、意思をもった大人になる

          乗馬をしてみたいと思い、乗馬クラブの体験に申し込んだ。普段は高額だが、セールで安かったから。 その後見たHPに「乗馬は馬と人が心通わせることが必要」と書いてあった。 私は一気に不安になった。動物が苦手だからだ。どうして申し込んでしまったのか。当日まで不安。何度キャンセルしようと思ったか。 当日は、インストラクターの方に、馬とのコミュニケーションが大事と言われ、ますます不安に。 馬と触れ合う時間、撫でることだけでも心に余裕がなくなってくる感じがした。それでも、体験だと自分を納

          「子どもに任せる」ことが、「子どもは自然」になり、意思をもった大人になる

          すべてを「子どもに任せる」ことで、自然とより良い方へと展開していく

          前回の記事の中から。 『舞いあがれ!』5話の中で、祖母が母に言う場面。 祖母「あんがしばらく舞から離れた方がよか。」 ここでは、祖母が母の舞への影響を考え、先に大阪に帰ることを提案する。 自分の娘だから言えるのかもしれない。 母親が子どもと距離を置くことで、子どものより良い成長・発達が促される。 ドラマの場合、そして、こうして一時的に物理的に離れることができればいい。こうしたことがちゃんとできる祖母がいるということが前提である。ふつうは難しい。 このドラマにように、

          すべてを「子どもに任せる」ことで、自然とより良い方へと展開していく

          親が子ども自身の思いや気持ちを聞いて対応してくれないと、子どもは「心の病」を抱えてしまう

          NHK朝ドラ『舞いあがれ!』 第5話。 たくさんの人に見てほしいと思った。 母親は子どものことを心配しているつもりだが、子どもにとってはマイナスになっていることがある。 それが、母親の言動、祖母の言動、子どもの言動でうまく構成されている。 どうして子どもが心の病気になっていくのか、それがわかる。 「神回」だと思った。 今回の主役の子どもは熱を出すという設定だが、子どもの姿は違っても共通するところがある。 保育所長をしていた頃、子どものしんどい姿を見てきた。それを保護

          親が子ども自身の思いや気持ちを聞いて対応してくれないと、子どもは「心の病」を抱えてしまう

          子どもの「意思」を尊重すること。子どもの「ありのまま」を認めること。それだけで、親子関係は劇的に変わる。

          今週からNHK朝ドラが新しく始まった。 『舞いあがれ!』 主人公の舞はよく熱を出す。 環境を変えるために母親の実家長崎県五島に行く。 そして本日4話。 はじめて島の小学校に行き、帰宅。 舞「おばあちゃん、郊外学習あんねんて。」 うれしそうに祖母にお便りを渡す。 舞と祖母は持ち物の話をする。 お弁当の話、長靴の話を楽しそうに。 そこに母親。 母「学校、どうやった?」 舞は喜んで様子を話す。 祖母が郊外学習のお便りを渡す。 母「舞。磯は初めてやろ、大丈夫?」 舞「や

          子どもの「意思」を尊重すること。子どもの「ありのまま」を認めること。それだけで、親子関係は劇的に変わる。