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いつも今を精一杯生きている子どもの姿を見守り、子どもを信じて「待つ」しかない

子どもはいつも今を精一杯生きている」。

必ず。絶対。

大人のように手を抜くことはない。
発達として、手を抜けない、そうした年齢である。
もちろん、個人差は大あり。


教員だった頃、いつも子どもに「頑張る」ことを要求していた。
日常生活の中で。各教科の中で。

しかし、それが違っていた。


子どもはいつも今を精一杯生きている」と考えるなら、そうはならない。

どんな時も、その時その場で、「自分なりに判断して精一杯行動している」のだから。


もっと」、なんて言わないはず。言えないはず。
頑張れ」、なんて言えないはず。
その姿を「評価」なんてできないはず。


でも、「もっと」と言ってきたし、「頑張れ」と言ってきた。
その姿を「評価」して、「通知表」に書いてきた。


それは違っていた。
やってはいけないことだった。


けれど、それが「普通」で、それが「当たり前」の今である。
もっと」と子どもに言い、「頑張れ」と子どもを追い詰める。
子どもは、ただの教員に、「評価」され、レッテルを張られる。

そして、
いつの間にか、子どもも、その親も、それを思い込む


「子どもはいつも今を精一杯生きている」。

いつもいつも、どんなことにも、
昨日よりもできるようになろうと思っている。


そして

もっと」や「がんばれ」、そしてその「評価」は、
他人の「期待」、親の「期待」。

子どもは、その外からの「期待」に応えるだけにしかならない


外からの「期待」に応えることは、
子ども自身の成長・発達にはプラスにならない。

いくら外から「期待」の言葉をかけられても、
自らの行動の変容にはつながらない、と言われている。


子どもはいつも今を精一杯生きている」。

だから、

他人は、親は、
いつも今を精一杯生きている子どもの姿を見守り、
子どもを信じて「待つ」しかない。


「子どもはいつも今を精一杯生きている」。

子どもはそういう生き物なのだから。


その認識が必要である。
その理解が大事である。

そこからしか、
子どものよりよい成長・発達はない。

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