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大人と子どもが「共に・育つ」関係は、大人も子どもも、自分の「今」を感じ楽しめるようになること

大人が子どもを「教え・育てる」関係ではダメなんです。

何故か。

子どもの「意思」が尊重されないことが多いからです。
というより、多すぎるのです。
というか、ほとんどがそうなのです。

子どもの「意思」が尊重されれば、子どもは「意志」を持てます。
「意思」が「意志」に昇華していくのです。

これが、私たちが生きていく上で重要です。不可欠なのです。
これにより、心身ともに健康に生活していけるようになるからです。
それがなされると、みんなが幸せになれるからです。


ネットで「意思」と「意志」を調べてみました。

「意思」と「意志」の違いは、以下の通りです

意思:考えや思っていること。積極的な気持ちはない。
意志:あることをやり遂げようとする積極的な気持ち。
意思は、「思いや考え」に重きが置かれる。
意志は、「何かをしたい」「しよう」という気持ちを強調する際に使われることが多い言葉。

子どもは、はじめ、何かを考えていたり思っていたりするだけです。
何も方向性を持っていません。これが「子ども」である所以です。
純粋に、フラットに物事に対して考え、思うのです。

これが「意思」です。

そして、自分のやること、したことを止めさせられることなく、ありのままを見守ってもらえたときに、積極的に、「何かをしたい」「しよう」という気持ちになるのです。

「意思」が「意志」へと昇華するのです。

大人が子どもに「教え・育てる」の関係では
上下関係がありますから、子どもは、自分のやること、したことを、評価され修正されることが多くなります。ありのままにいることを否定されてしまいます。

ここで、子どもの「意思」は途切れてしまいます。自分で思ったり考えたりすることを止めます。必ず大人や親に評価され修正されるのですから。

大人や親は無意識なのかもしれません。子どもの言動に小言を言うのです。
いちいち、しつこく。繰り返し

それが「教え・育てる」こと、それが「しつけ」だとか理由をつけて。
子どもに「将来のため」「お前のため」などと言って。

すると、子どもは「意思」さえもすることがなくなり、「意志」を持つことは到底なくなります。

子どもは誰かに言われた通りにするようになります。その方が楽ですから。
自分で考え判断することはなくなります。より良い行動をする意識はなくなります。家庭では親の言うとおり、学校では先生の言うとおり。

それが家庭生活の中で繰り返され、学校生活の中で繰り返され、強化されます。


これが、大人と子どもが「共に・育つ」関係では、
大人も子どもも並列ですから評価され修正されることはありません。一緒に育っていけばいい、というスタンスですから。
自分のやること、したことが、そのまま認められます。

具体的にどうすればいいか。

例えば食事の時。

親も子どもも「一緒の食事を楽しむ」ことです。
親も子も、「食べるものや食べること」を楽しみ、「一緒」であることを楽しむのです。意識を「今」していることだけに目を向けるのです。
それに加えて、今日あったことなどをお互いに話し聞き合うのです。
それだけでいいのです。

これが意外とできません。
親は、自分が作ったものの味はどうかなんて考えることなく、子どもの食べ方などについて、「こうしなさい」「ああしなさい」と指示をして、いちいち小言を言ってしまう。
「こぼさない」とか、「残さないで」と「早く食べなさい」とか。

まずはこうしたことを「一切言わない」「いちいち言わない」ことです。
はじめは我慢しなけばならないかもしれません。これまでそうしてきたので。

これはとても重要です。
少なくとも、子どもの「意思」を尊重することにつながります
これまで、親の小言により、子どもは何も考えることも思うことも許されず、それを聞いて従うことしかありませんでした。

親がそれをしないだけで、子どもは食べながら、何かを考え、何かを思うことができるようになります。
子どもは、それだけで、親に「認められている」と感じます。それを繰り返し経験することで、親をさらに好きになり、「意志」を持てるようになります。


大人と子どもが「共に・育つ」関係は
大人も子どもも、自分の「今」を感じ楽しめるようになることです。
それだけでいいのです。

それが、子どもが心身ともに健康で、より良くなろうとする心を育てるのです。同時に、親も育っていくのです。

子どもは「自分で成長する力」を持っているのですから。


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