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「記憶にございませーん」の記憶

脳のどこかに何十年も隠れていたフレーズ

最近、政治家の”裏金”問題で、過去の問題行動を「覚えているかいないか」という、明らかにその言葉通りに取ることは難しいやりとりを連日ニュースで見ていて、急に、私が子供の頃よく使っていたフレーズを思い出した。それは・・・

「記憶にございません」

例えばいたずらをして、親から「これお前がやったんだろ!」と怒られた時に、「記憶にございませーん」と、人を小馬鹿にしたような言い方で使う。本来ならば大人がしっかりと叱りつけるべき、人をなめきった言葉だ。

しかし、厄介なのは、このフレーズは、その大人が、しかも”偉い”とされる大人が使っていたものだったことだ。

これは、ある程度以上の年齢の人なら知っている、ロッキード事件。田中角栄元総理が逮捕された戦後最大級の贈収賄事件で、国会の証人喚問で、政商と言われた小佐野賢治という人が繰り返したと言われる言葉から来ている。

それにしても、当時まだ小さくて、ロッキード事件どころか、国会の存在や、贈収賄の意味さえよくわからない子供が、「記憶にございません」を知っていたとは。当時流行語になったので、テレビなどでよく使われていたか、大人が家で使っていたのだろうか。

子供は感じ取っている

本当に怖いと思う。

子供は、ただ流行り言葉を真似ているだけだが、結構そのニュアンスを、本能的に正確に感じ取ってはいないだろうか。

国権の最高機関という、”偉そうな”場所で、誰が聞いてもその通り受け取るわけのないような、”たわけた”言葉を、何度も繰り返す。そういう大人の、人をなめた言動を、子供も無意識のうちにちゃんと感じ取っているのだ。

もちろん子供にはそんな細かなことはわかってはいないが、「大人だって偉そうなこと言ってるくせに、そんなギャグみたいなこと言ってんじゃん」ということなのである。

こういうものは、子供たちに、じわりじわりと浸透し、彼らの人格形成にも大きな影響を及ぼしていく。ずるいことをしても罰せられず、”偉い”ままで、また金持ちでいられたり、それを非難する人が逆に煙たがれ、馬鹿にされて冷飯を食っているような状況を見て育つとどうなるか。本当に恐ろしいと思うのだ。

だから、こうした政治家のギャグのようなやりとりをお笑いのように消費したり、また逆に「今はそんなことよりやるべきことが」などと、物分かりの良いことを言って不問に付してはならないと思う。

責任を問うことと、他のやるべきことは二者択一ではない。(大嫌いな二項対立だが)右や左の対立でもない。言うならむしろ、右でも左でも、だ。

やっぱり、もしふざけたものであった場合は、しっかりと非難するべきだ。

「疑獄」とは?

ところで、ロッキード事件のような大型贈収賄事件は「疑獄」と呼ばれる。

しかし私はこの言葉、使うものの、「獄って何だろう?」とよくわからなかったので、ウェブの辞書を見てみた。すると・・・

「疑獄」
1 政治問題化した大規模な
贈収賄事件。
犯罪事実がはっきりせず、有罪か無罪か判決のしにくい裁判事件。

デジタル大辞泉

〈疑獄〉という言葉は,元来入獄させるか否かが明確でなく,犯罪事実があいまいな事件を意味する。

ああ、なるほど。疑獄の獄は、監獄の獄か。獄に入れるべきかが明確でない事件。

確かに、一番厄介なのは、これだ。今の政治で起きていることも。とぼければ、とぼけられ、何も問われない。脱税にもならない。それどころか、それを批判する人が逆に批判されたり、煙たがられたり、馬鹿にされたりして。

子供は、見ている。感じている。自分たちの社会がどんな場所で、自分が大人になったらどう生きればよいか、“生存の知恵”を蓄積している。

やっぱり、私たち大人は、子供に「記憶にございませーん」となめられた時と同じく、そんなセリフで人をなめる大人に対しても、特に”偉い”とされる人にも、「こらっ!なめんなよ!」と、ビシッと一発言わなければならないはずだ。

三谷幸喜映画「記憶にございません!」


最後に。「記憶にございません」と言えば、こんな映画があったとは。

今回話題にしたロッキード事件がヒントになったようだが、まるで今政界で起きていることを風刺したかのような内容のようで。今度観てみよう。


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きょうも最後までお読みいただき、ありがとうございました。
AJ 😀

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