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日本語が通じにくいことと、心が通じないこと--”日本語が通じないことが当たり前の時代”のサービスを考える

先日、久方ぶりにファミレスを訪れた。もはや、都心のファミレスは「ファミリーのレストラン」ではなく、スマホ充電用電源がついた一人用の席が相当数を占めている。そして、猫型の給仕ロボットが店内を所狭しと走り回っている。

この猫型ロボットのことは知っていた。最初見た時は、日本では、人手不足で近い将来これが当たり前になっていくのかなと思ったが、単純に面白くて可愛いかった。しかし、今日はドアを開けた時から、何かそれと違った違和感を感じる。

あっそうか、「いらっしゃいませー」がないのか。店員は何人かいるようなのに誰もこちらを見ないし。ポツンと入り口で歓迎されていないようなそんな気持ちを抱きながらも、私の感覚が「昭和」なだけで、今はそういう時代なんだと言い聞かせながら、店内におそるおそる足を踏み入れていく感じだった。

なんか表示がある。「卓上のタブレットで会計をされる方はPaypayのみ」というようなことが書かれている。そして、それ以外の支払い方法の場合は従業員を呼んでくれ、と。おっ、ではクレジット支払いの私は、タブレットで注文しないで従業員を呼んで注文すれば良いのかと。(それが、私の勘違いだと後で気が付くことになるのだが)

さあ、どこに座ろうか。おどおどと周りを見ていると、一人の外国人の女性従業員と目が合う。ネパールなどの方だろうか。私の方から「ここ座ってもよいですか?」と聞くと、「はい」と。そこで、座ってメニューで頼みたいものを決めてから、タブレット上の従業員呼び出しボタンを押す。

すると、さきほどの従業員が来た。早速注文を口頭で述べると、ちょっと困惑した顔をしている。どうしたのだろう?色々話しかけるが、日本語があまり話せないようだ。しかし彼女は一生懸命私に何かを言おうとしている。でも、言葉にならない。私も一生懸命彼女が何を伝えようとしているのか、神経を集中する。

しかしコミュニケーションはなかなかうまくいかず、彼女は、私の机のタブレットを操作し始めた。オーダーを入れている。あっ、いやいや、それは私もできるんだけど、そうじゃなくて、クレジットカード支払いにするつもりなので、タブレットはペイペイ以外だと使ったらだめなのに、と思い(それが私の勘違いだが)、その旨を伝えるがよく伝わらない。で、英語に切り替えて聞いてみた。

私:I want to pay with my credit card.
(クレジットカードで払いたいんですが)

しかし、うまく伝わらない。

従業員:….pay?…..uh.. Paypay?… Paypay OK…..
(ペイ? ええと、ペイペイ? ペイペイはOKです。)

私: No, no.  I want to pay with a credit card, not Paypay. So, I'm not supposed to order on this tablet, right? That's why I called you.
(いやいや、クレジットで払いたいんですよ。ペイペイじゃなくて、だから、このタブレットで注文はしないんですよね。だからあなたを呼んだんですよ)

従業員: uh….Paypay?….
(えっ・・・ペイペイ?・・・)

おおお、だめだ通じていない。困ったなあ。彼女もとても困って、かつ申し訳なさそうな顔をしている。それを見ると、こちらも戸惑って焦ってしまう。

そうこうしていると、もうひとりの女性従業員が来た。ああよかった、日本語で説明しよう。

すると、この従業員もあまり日本語が得意ではないようだ。ああ、外国人だったか。私の説明が伝わっているのか、自信がなくなってきた。そこで名札をみたら、カタカナから中国系の方かもしれないと思い、中国語に切り替えてみた。・・・すると、通じた!

我想用信用卡支付,所以不能用个tablet点菜,吧?
(クレジットカードで支払いたいんです。だから、このタブレットで注文しちゃいけないんですよね?)

すると、私の勘違いで、まずはタブレットで頼んでよいこと。そして支払いについては、

従業員:您要走的候,在那个自台可以用信用卡支付。
(お帰りになられる時に、あちらの自動レジでカードを使って支払えますよ)
私:哦,要走的候啊,这样
(あっ、帰る時ですね。そういうことね。)

・・・と、こんな感じで。それにしても、こういう時代になったんだなあ、と実感。海外旅行に行った時のようなコミュニケーションのドキドキを、こんな所で得られるとは思わなかった。

さて、食事を終えて、その方式で支払いをして帰ろうとすると、「ありがとうございましたー。またお越しくださいませー」・・・えっ?日本人の日本語じゃないか。日本人の従業員がいたのに、外国人店員と客が相当長い時間困っている時に、何も助けなかったのか。

でも、最後に、あのネパールかどこかから来た女性従業員が、優しく、少し恥ずかしげな笑顔で「アリガトウゴザイマシタ」と頭を下げてくれていた。

イメージ 記事の店舗とは無関係です

さあ、次の目的地。靴を買いに某ターミナル駅の大型靴チェーンの店へ。溢れかえる外国人旅行客らしき人たちをかきわけて店内に入ったのだが・・・

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「いらっしゃいませー」が、やはりない。若い男性店員が数人いて、私しかそのフロアーは客がいないのに。それなのに、その店員らは、何も考えずに、数十秒のタイマーでもかけたロボットのように、ひとりで、もごもご念仏のように、心のこもらない「ご覧くだいませー」を連発している。

とてもいやな時間はすぐに訪れた。

詳細は割愛するが、靴について、聞きたいことを私が日本人の若い男性店員に聞くも、全然話が通じない。こちらが色々言葉を変え、聞き方を変えても、驚くほど全く同じ言葉が3回も4回も返ってくるのだ。しかも、面倒くさく、不愉快そうな表情で。

私は困り果てたが、ポイントは、従業員が全然困り果てているようには見えないことだった。そこにコミュニケーションをなんとかしようという努力はなかった。さきほどのファミレスとは大きな違いだ。

彼は無表情で、じっと私の次の発言を待っている。私はおどおどしてしまい、「なんか、私たち全然話が噛み合っていないみたいですが・・・」などと余計な前置きまでして、また聞き方を変えて聞いてみるも、店員は全く同じ文言を繰り返すだけだ。

ふうっ。もういいや、失礼すぎるし、もしわざとではないらば頭が悪すぎる。こんな店で買わなくてもいいや。と、立とうとした時に気がついた。すぐ近くにもう一人若い男性従業員がいたが、彼は私が困っているのを、じっとニヤニヤと見ていただけだったことに。

もちろんこの店の対応ひとつをとって、「日本のサービスは、もう・・・」などというのは、あまりに不適当だろう。しかし、きょうのこの出来事を書きたくなったきっかけは、最近、日本のサービスであれっと思うことが多いからだ。

そして、とかくそれを、外国人が増えて社会が変わっていることと結びつけて語る人がいる。そうだろうか。私は、あのファミレスの女性従業員には、あまりに日本語が通じなかったので戸惑いはしたけども、嫌な気持ちは抱かなかった。それよりも、全く心どころか言葉さえ通じなかったのは、靴屋の若い男性店員であり、それを見ていただけの日本人店員とも、心は全く通じなかった。

最近の、政治家をめぐる動き。日本人”特有”の心の”美しさ”やおもてなしの精神を、多民族と暗に比較しながら、殊更そういう角度から説く人たち自身のモラルが崩壊したり、ずるいことをしているのを見て、色々感じるところがある。

今、社会の構成が変わっていき、その流れは止まりそうにない中で、「民族」の切り口ではなくて、「今の日本社会」として、構成するすべての人を入れ込んで、どんな風な、世界に誇れるものにしていくのか。

「日本人の資質、そしてサービスはすごいね」ではなく「日本に住む人たちの資質、そしてサービスはすごいね」と、世界からリスペクトされる社会にしたいと、あらためて思ったのだった。


きょうも最後までお読みいただき、ありがとうございました。
AJ😀





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