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『忘れられない一杯』は覚えていない【小説】

「今度のフェスで乾杯しましょう!」

音楽好きの間では、良く使われるセリフだと思う。SNSが普及してからこっち、「顔は見たことがないけれど、趣味は同じ。いつ繋がったのかわからないけれど、ネット上では普通にしゃべる」、そんな不思議な関係の人が沢山できた。
そして、同じジャンルの音楽が好きでつながった人とは、参加するライブやフェスがかぶることが多々ある。そういう時に「会いましょう!」と言うのではなく、なぜか「乾杯しましょう!」という、ちょっと湾曲した言葉が良く使われる。直接的な表現が嫌いな若者文化の一端なのかもしれない。

私が、彼といつSNSで繋がったのかはよく覚えていない。それでも、似たような音楽が好きなのはすぐわかったし、過去に行ったライブがいくつかかぶっていたようだ。いつしかSNS上でぱらぱらと言葉を交わすようになった矢先、次に参加するフェスが同じであることが判明。冒頭のセリフにつながるわけだ。

とはいえ、相手は見ず知らずの男性。

「乾杯しましょう」という言葉に、「会えたら乾杯しましょうね」と前向きに返しておいたものの、気持ち的には「頑張って会うこともあるまい」と考えていた。そもそもフェスで人に会うのはそれだけで一苦労なのだ。電波も良くないし、とにかく人が多い。知っている人に会うだけでも大変なのに、顔も名前も知らない異性に会うなど、よほどの積極性がないと難しいのだ。

そんなわけで、彼に関して「当日まではその存在すら忘れていた」というのが正直なところだった。

6月末とはいえ、野外のフェスはかなり暑い。

特に今日は快晴に恵まれ、雲は数えるほどしかない。抜けるような青い空と言うと、大抵「さわやか」とか「爽快感」といった良い表現に使われそうだけれど、今の私に言わせればただただ「暑い」としか言いようがない。汗をかいて体重が減りでもすれば、この苦労も報われるかもしれないけれど、経験上フェスに言って痩せたためしはない。むしろ昨今はおしゃれで美味しい屋台も沢山あって、フェスに行って体重が増えやしないか、という方が心配だ。

ただ暑さにはどれだけたっても慣れないけれど、やっぱりフェスは夏が一番。何といってもビールがおいしい。一年の疲れもその一杯で吹き飛ぶかと思えば、どれだけ暑くとも許してしまう。普段はそれほどお酒を飲むわけではないけれど、「フェス」と「ビール」という関係は私の中で切っても切れない腐れ縁なのだ。

そして、そんなことを考えているうちに、フェスが行われる最寄の駅についた。

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駅を出てまず友人と合流。歩き出して数分ですでに汗ばみ始める。

でもそれもライブが始まって、ちょっと前の方にいってもみくちゃになればもう関係ない。みんな等しく汗臭く、多かれ少なかれ泥で汚れるのだ。私が、後ろの方でゆらゆらしながら、大人見で満足できるようになるには、まだまだかかるだろう。

会場についたときには、すでに演奏は始まっていて、メインのステージでは轟音が鳴り響いていた。そんな演奏には目もくれず、友人と向かうのはお酒を売る屋台。お目当てはもちろんビール。「花より団子」ならぬ「音楽よりお酒」。他の人のことは知らないけれど、私の夏フェスはいつも1杯のビールから始まるのだ。

「どのへんに居ますか?乾杯しましょう!」

そうやって、ダイレクトメッセージに入ってきたときに、そういえばそんな話もしたんだった、と思い出した。そして同時に思った。「めんどくさいな」と。前述したように、フェスで人と会うのは思った以上に大変なのだ。

「まだしばらくウロウロしてますので、落ち着いたら連絡します」

決して嘘ではない。今日のお目当てのアーティストがもう始まろうとしている。ビールも大事だけれど、フェスで音楽を楽しまない理由はない。この会場は前の方に行くと土埃がすごい。でも好きなアーティストを見るなら、俄然前の方。出来ればひいきのベーシストの居る下手側。それが私の定位置だ。首にかけたタオルで汗をぬぐい、丘を下っていざメインステージへ。

ダイレクトメッセージの彼など、もはやチラリとも頭をよぎらない。

見終わってひと段落。何の気なしに屋台とともにSNSをめぐる。

すると、私がひいきにしているアーティストが、その日の演奏後に、物販の場所で握手会をして、サインまでするというじゃないですか。……いやこれがどうも既にやっているらしい。悠長にポテトを食べている場合ではない。こういう時SNSで手に入る情報はリアルタイムで本当にありがたい。見ていなかったら確実に気が付かなかっただろう。

慌ててポテトをかきこみ、物販の場所に急ぐと、そこには麗しのごひいき様たち。CDを買ってくれた人に、握手とサイン色紙がもらえるとのこと。確か持っていないシングルもあったはずだし、めったにあることじゃない。出すよ、出す出す。私が何のために働いていると思っているの。土壇場で気が付いた高揚感もあって、気分は完全に前のめりだ。

ところがここで一つ問題が。

シングルは私が持っていなかったものも含め、もうすべて売り切れていたのだ。始まってからだいぶ経っていたし、そもそもフェスに持ってきた数も多くなかったのだろう。残っているのは、既に持っているアルバムだけ。迷いがなかったと言えば嘘になる。でも、ここまで来て何もせずにしっぽを巻いて帰るわけにはいかない。

結局、既に持っているアルバムをもう1枚購入することになったけれど、無事に握手をしてもらいサインをゲットできた。1枚は思い出とともにCDラックに並べておこう。

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思わぬ収穫にホクホクしながら、友人とトイレ列に並ぶ。

あと見たいアーティストは1時間ほど後に一つあるだけ。もう満足もしたし、いっそもう帰ってしまおうか。そんな話をしている時にまたケータイが鳴る。

「どうも!今ちょっと時間あるんですけど、どの辺に居ますか?」

意外としつこいな。という気持ちはあった。でもトイレ列に並んでいるだけで特段忙しくないのも事実。そもそも同じ系列のアーティストが好きなので、一日フェスにいると、ライブを見ていて忙しいときと、そうでもないときは似通ってくるのだ。

「トイレの列にならんでます」

という返事に

「じゃあそっち行きますね!」

と、しばしの後に返信がきた。フェスも折り返しを過ぎたのに、アクティブなこと。そんな勝手な感心もしつつ、もし来たら適当に挨拶でもすればいい。そのくらいの気持ちだった。既に何本かお酒も飲んでいるし、なるようになるだろう。

でも、そんなときに限って、なんのはずみかトイレの列はするする進む。そのまま数分もからないうちにトイレも済んでしまった。まだ彼らしき人は来ていないようだ。返事をしてしまった手前、待っていようかとも考えたけれど、友人がもう一杯飲みたいから行こうと止まらない。
私自身、積極的に会いたい気持ちがあれば違っただろう。運よく会えたら挨拶でもするかというレベルだし、そりゃあ私だって彼氏がいなくてしばらくになるけれど、少なくとも今日に限っては、何の期待もしていない。

このまま会えなくてもそんなものだろう。私もビール飲みたいしごめんね。と思いながら、そのまま坂を下りてビールの屋台へ向かうことにした。

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だから、またメッセージが来たときは、どう返そうか少し悩んだ。

「またにしましょう」といって、あしらうことはできるだろう。かといって、ちょっと引け目もあるし、嘘をつくほどの嫌悪があるわけでもない。そもそも会ったこともないわけで。もう一度くらいチャンスをあげようかな。次、会えなきゃもういいや。お帰りいただこう。

そんな上から目線の気持ちが「坂の下のお酒の屋台に移動しました」と、投げやりな返事にあらわれてしまった。図らずも随分引っ張りまわしたし、もう来ないんじゃないかな。そんな思いもあった。

でも、そんな勝手な予想は簡単に外れることになる。
3度目の正直にして、無事に彼と会えてしまったわけだ。

会ったことはないとはいえ、SNS上の発言を見ていて、悪い人じゃないだろうとは思っていた。音楽もそうだし、それ以外の趣味も似通っていることもうすうすわかっていた。そういう前情報を持っていたからこそ、しつこいと思いながらも、今日一日相手にしていたところはあるだろう。

でも、会ってみたら見た目までタイプというのは、いくらなんでも出来すぎだ。

背はそれほど高くないけれど太っていない。日には焼けているけれど、元々の肌は白そうだった。恰好も流石にライブに慣れている装いをしていて悪くない。

そして、とにかく顔。顔が好みなのだ。

厚ぼったいまぶたに一重の薄い目。ホリはどちらかというと浅い方で、のっぺりしていると言ってもいいだろう。某大手男性アイドル事務所には全く縁がなさそうな薄い顔。普段友人には、「それは世間の『カッコいい』とはだいぶ違う」、と言われて、下手したら馬鹿にされているけれど、それが私の「カッコいい」だし、今まさに目の前に居る彼は、その「カッコいい」に寸分たがわない顔をしている。

さっきまで近くのステージの盛り上がりがここまで聞こえていたはずだ。私たちのすぐ近くにも思い思いにフェスを楽しむ人があふれていて、様々な声であふれている。でも、彼を初めて『彼』として認識したその瞬間、そんな喧騒が嘘のように消え去る。静寂の中、汗が一粒頬をゆっくりと伝うのを感じる。近づく彼と私だけの無音の世界。背景さえ白くハレーションを起こし、まるで彼に後光が差しているように感じる。そして、そのまま、時が、止まる。


「やっと会えましたね」

瞬間、止まっていた時が動き出す。引きまわされたことなど、何とも思っていないかのように、さわやかに笑って彼は続けた。

「おごりますから、乾杯しましょう」


酔いは一瞬で冷めた。でも、その後飲んだビールの味は緊張してまったく覚えていない。

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挨拶もそこそこに、ファーストコンタクトはあっけなく終わってしまった。

また会えるのは、次にどこかのフェスかライブが被ったときだろうか……下手したら半年、いや一年くらい会えなくてもおかしくない。
会うまではあれほどどうでも良かった彼の事が気になって仕方がなかった。そして、そんな焦燥の念が通じたのか、会う機会はすぐに訪れることになる。例のCDだ。

家に帰って落ち着いてSNSを見ると、彼のつぶやきが目に入る。フェスで、例の私が握手をしたアーティストを初めて見て大変気に入った。これから色々聞いてみたい、ライブにも行きたい。そんなつぶやきだった。

彼が、私がそのアーティストを好きな事を知っていたのかどうかはわからない。でも、実際に私はそのアーティストを大好きだし、ライブにも良く行く。

そして何の偶然か、私の手元には開けてもいないCDが1枚余っている。


「よろしければCDが一枚余っているのですが……」

そんな、数文字のメッセージを送るのに、1時間はかかった気がする。そして、結局そこから1年ほどして、私は彼と結婚するのだけれど、それはまた別のお話だ。


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【2020/08/28】続きを書きました。
もし、上の作品がお気に召された方はどうぞこちらも。



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