小説で行く心の旅⑤「プルートーのわな」安部公房
5月も終わり、皆さんいかがお過ごしですか?
五月病と揶揄されるこの時期を過ぎ、新しい生活でお疲れの方々もいらっしゃるかと思います。
そんな中、小説でちょっとした心の旅を楽しんで
頂ければ幸いです。
小説で行く心の旅、第五回目は「砂の女」などで有名な安部公房さんの「プルートーのわな」をご紹介します。後でお伝えしますが安部公房さん、私が劇団で演出助手の仕事をしていた時に、よくこの方の書かれた戯曲を上演する仕事に関わっており、私にとって思い出深い作家さんなので、ぜひご紹介させて頂ければと思います。「プルートーのわな」は1952年に「現在」に発表された作品です。
※「現在」は青土社が出版した文芸誌。
※「安部公房全集3」(新潮社)より
【 あらすじ 】
※ネタバレを含みます、ご注意ください。
老猫プルートーと、ネズミ達の攻防戦
この作品は、猫と鼠たちの攻防戦が描かれています。舞台はどこかの国の倉庫。この倉庫にはオルフォイスというあらゆる能力に優れたネズミがいました。仲間のネズミ達はオルフォイスの能力に敬服し、ネズミの王になって欲しいと頼みます。しかしオルフォイスは共和国のリーダーとなる事を望み、ネズミ達の初代大統領になりました。オルフォイスはその優れた能力で法整備を整え、ネズミ達の社会を正しい道へ導いて行こうとします。
そんな中、ずる賢くて残酷な老猫プルートーがこの倉庫を襲って来ます。
集団に従い、個を殺したリーダーの末路
プルートーはずる賢く残酷で、どんな交渉も通用しないと賢いオルフォイスは判断し、全力で戦うしかないとネズミ達に説きます。しかしネズミ達は怯えるだけで、戦わず交渉するしかないとオルフォイスの言葉に耳を傾けません。オルフォイスは仲間達の選んだ、交渉という選択が間違っているとわかっていながら、集団の意志に従い、リーダーとしてプルートーとの交渉役を自ら進んで請け負い、その残忍な罠にはまり悲惨な最期を迎えます。
【読後感想】
集団と個人、作者の意とするもの
この作品は大変短いですが、戦後の混乱期に書かれたもので、戦って敗れても次の時代に種を蒔く意味を、身を投じて戦おうとする人がいない世相を表現した深い作品です。
そして集団に自分の意志を理解させる難しさを表現しているとも言えます。もし、オルフォイスが凶暴な猫に怯えるネズミ達にもっと上手く自分の意志を伝え、戦う方向に持って行けたら、ましな結末が待っていたかもしれません。
生きていれば、誰かに自分の考えや意志を説明し、理解してもらわなければ困る場面は沢山あると思います。上手く交渉し自分を生かすのか、交渉が上手く行かず自分を殺すのか。そんな事を考えさせられる作品でした。
個と社会、安部公房さんの世界觀
私は演劇の世界に入り、何度か安部公房さんの戯曲に演出助手として関わりました。その中で一番印象深いのが1967年に発表された「友達」です。1990年代後半から2000年代前半に、所属する劇団で何度か上演していました。この作品は一人暮らしの若者の家に、いきなり見ず知らずの大家族が押しかけて住みつき、自分達の妙なルールを若者に押し付けて行く奇妙なお話です。従わなかった若者は、最後に殺されてしまいます。
この作品でも、間違っている集団とそれに抗う個人が描かれていました。社会のなかで個人としてどう生きて行くか、安部公房さんは常に問いを投げかけていた作家さんだと思います。
その一方で「プルートーのわな」「友達」から共通して感じられたのは、他者との関わりに対する愛情でした。考えの違う他者と交わす言葉の端々に、愛情が感じられました。人は独りでは生きられない、そんな想いが伝わって来ます。
戯曲「友達」の劇中歌「友達のブルース」を
ご紹介します。この歌は安部公房さんが作詞しました。安部さんの想いが伝わって来ます。
恐ろしい猫の襲撃を迎えたネズミ達の世界に、
心の旅をしてみませんか?
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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