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小説で行く心の旅①  「顔の中の赤い月」野間宏

小説で行く心の旅、第一回目は野間宏さん
(1915年〜91年)の短編小説
「顔の中の赤い月」をご紹介します。
※「日本近代短編小説選/昭和篇2」岩波文庫より

野間宏さんは京都大学仏文科卒の作家で、
反戦運動を行なっていました。第二次世界大戦中、
フィリピンに派兵されています。
この作品は1947年「綜合文化」に掲載されました。扱う言葉が難しい所もありますが、短編なので読み易いと思います。

「綜合文化」は1947年〜1949年出版の雑誌。
「戦後文学」の起点の一つであり、敗戦後に解放された文学・思想における世代間の交流と論争の場になりました。※安倍公房さんも寄稿しています。

不ニ出版HPより

〜あらすじ〜

※あらすじはネタバレを含みますのでご注意下さい。

主人公が、赤い月の戦地で得た苦しみ


主人公の北山年夫は第二次世界大戦中、
フィリピンの戦地に派遣され数年間過ごします。
新人として派兵された年、約10日間毎日2時間しか眠れず、武器も食料もなく行軍(歩いて部隊を進める)するしかなかった戦況の中で、同僚を見捨ててしまいます。他人を助ける事は自らの死を意味し、そうするしかありませんでした。南の島の赤い月が兵士達を照らす中、見捨てられた同僚は道端で息を引き取ります。

愛の大切さに気づいても。


そして年夫は生還出来るかわからない状況の中で、戦地に行くまで全てを捧げ、自分を愛してくれた女性を軽んじ、冷たく接していた事を心から反省します。彼女の愛は母親と同じ無償の愛で、彼女や母親のような愛が、何より大切なものだと戦地で気付きます。
何とか生還し日本に戻った時、恋人も母親も亡くなっていました。自分を愛してくれる人がいない喪失感、そして同僚を見殺しにしてしまった罪悪感と悲しみは、民間人に戻り、会社勤めを始めた年夫の心に深い悲しみと闇を落とします。

普通の生活に戻って出会う。


そんな中、年夫は同じフロアの別会社に勤める
堀川倉子に出会います。倉子の雰囲気には自分
と同じような苦しみや悲しみがあり、そこに美しさを感じた年夫は彼女に惹かれて行きます。
自然と年夫と倉子は会社帰りにデートを重ねるようになり、何度かお茶をする中で、年夫は倉子が心から愛した夫を、戦争でなくした未亡人であること、そして生活に困っている事を知ります。
倉子も年夫が愛する人を失った事、戦地で同僚を
見捨てた事で苦しんでいる事を知ります。

彼女の顔に現れた赤い月


何度かお茶だけとはいえデートを重ねる二人。
倉子には再婚の話が出ており、お互いに気持ちを
確かめなくてはならない状況になりました。
しかしお互い好意はあるものの、相手の苦しみを
抱えきれないと感じたのか、二人は素直な気持ち
を伝えられず、思ってもいない事を言って
しまい、心の距離を離してしまいます。

けれどお互いの気持ちを確かめる大切なデート、
年夫は倉子を家まで送ると一緒の電車に乗って
倉子の顔を見つめます。
その時、年夫は倉子の顔に吹き出物なのか、
汚れがついたのか、赤い小さな点がある事に
気付きます。その赤い点は年夫の中でどんどん
大きくなり、戦地で見た南国の赤い月に見えて
きます。同時に、戦地で見捨てた同僚の最後の
言葉が聴こえてきます。
その時、年夫は同僚を見殺しにした自分には、
倉子を守ることなど出来ないと感じます。
倉子が電車を降りる時、年夫は一緒に降りず
彼女に「さようなら」と言ってしまい、
倉子も「ええ」とだけ言って電車を降ります。

駅のホームで、倉子は電車内の年夫の姿を探し、
彼女の姿に電車のガラス窓が通り過ぎて行きます。
年夫がその様子を見つめる中、物語の幕が閉じます。

難しい言葉クイズ

作品感想の前にクイズです!
原文にあった言葉ですが、意味がわかりますか?
原文を読みたい方は、ご参考になさって下さい。
正解は一番最後にあります。
①肯じない
②激越
③トッケー

〜作品感想〜

とにかく、この作品は切ないに尽きます。
戦地で同僚を見殺しにしてしまった体験は、
年夫に人としての自信を失くさせました。
過酷な戦地で愛の大切さを気づかせてくれた人も
失ってしまい、年夫はもう人を愛する事も、愛される事も出来ないと思ってしまったのではないでしょうか。だから、せっかく出会った倉子に想いを告げる事が出来なかった。
倉子も心から愛した夫を戦争に奪われ、
他の人を愛する事が出来なくなっていた。
戦争により、人を愛する事が出来なくなった悲しさ
を訴えている作品だと思います。

平和な現代の日本にいて。

年夫は作中
「俺が彼女の愛の価値を知るためには、このような
何千万人の人々の生命を奪った戦争が必要であったのか」

と嘆いています。現代の日本では、徴兵され年夫の
ような経験をする事はないと思いますが、紛争地域では今も、年夫のような想いをしている人がいるのではないでしょうか。平和な日々が訪れて欲しいと心から願います。

いつの時代も変わらない、男と女

年夫がずっと蔑ろにしていた恋人は、
年夫との情事の後、悲しそうに言いました。
「何を考えていらっしゃるの?
 またあのこと(昔の恋人)を考えて
 いらっしゃるんじゃないの?」
年夫はこの女性とは、別れた恋人を忘れる為に付き
合ったと語っています。更にたやすく手に入った女性なので大切に思わず、自分の虚栄心を満たす為に自分を愛する女性を側に置いた、とも語っています。この作品が書かれたのは80年近く前ですが、
男と女はこれだけ時間が経っても考える事は変わらないのだなぁ、と思います。ネットのお悩み相談で、こういった事についての内容はよく見かけます。

戦争の悲しさを感じ、男と女の今も変わらない心の
やりとりを感じさせる深い作品でした。
戦争を経た男女の心に旅をしてみませんか?

お読み頂き、ありがとうございました。
またご紹介したいと思います。

クイズの答え

①肯じない(がえんじない)
  ・本来は承諾しない
②激越(げきえつ)
 ・感情が激しく、荒々しいこと
③トッケー
 ・熱帯に生息するオオヤモリ。
  本当に鳴き声が「トッケー!」と聴こえて
  面白いです。
https://youtu.be/pO3rbgukObs?si=QUsydvs-rsnpG5Ky



  

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