見出し画像

心と口と行いと生活(の中)で。

6/29。

0:29(未だに就寝できず)。

天気は曇り。





僕は、キリスト教信者ではないし、そもそも神さまを信じていないけど、賛美歌は好きだ。賛美、したことないけどね。だって、存在しているかわからない人に、賛美しようがないよ。……こういうのも、不敬になるのかな。まあ、いいか。


「心と口と行いと生活で」


僕の好きな、「主よ、人の望みの喜びよ」でフィナーレを迎えるカンタータ(器楽伴奏付の声楽作品,Wikipediaより)だ。「主よ~」は、本当は「イエスは変わらざるわが喜び」という名前らしい。……ううん。やっぱり、前者の方が好きだな。


……ええと。いつもなら起床時間を書いているところに、(未だ就寝できず)と書きました。日付が変わったとはいえ、寝ていないので(というか、眠れないので)僕はまだ、28日の中にいる。……変なのって、思うかな。


というわけで(なんて言い方は、おかしいかな。)僕の好きなクラシックを聴いている。というより、「主よ、人の望みの喜びよ」だけリピートしている。……YouTubeには、何でもあるな。


僕は思う。賛美歌に頼ることは、神さまに頼ることと同じなのかな。だって、これは本来、神さまへ捧げられた曲だ。(聖母マリアの訪問? を記念して作られたらしい。)それなのに、「眠れますように」と、信者でもない僕のために、使っていいんだろうか。


「音楽は、人のためにある」というけれど。賛美歌も、そうなんだろうか。……んん、わからないな。僕にわかるのは、賛美歌は誰にとってもすばらしい、ということだけ……。


そして僕は、依然として、眠くないまま。まあ、「主よ~」は、というより賛美歌は、安眠のために作られたものじゃないから……。ああ。このまま夜を明かしてしまいそうだ。……まあ、たまには、それもいいか。


「心と口と行いと生活で」か。神さまも、神さまを賛美することも、今の僕には縁遠いけど。「心」も「口」も「行い」も「生活」も――誰にとっても、親しいものだ。それはもちろん、僕にとっても。


だから、神さま。もし、僕のことが気に入らないとしても、許してくれないかな。僕の生活に、このカンタータを捧げることを。それくらいは、させてほしいな。


……まあ、許してくれなくても、いいけどね。何せ、「音楽は、人のためにある」からね。じゃあ、僕、寝たいから……あんまり、小言はいわないでね。





「僕だけが、鳴いている」


これは、
僕と、ドッペルゲンガーのドッペルさんの話。


連載中。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。 「サポートしたい」と思っていただけたら、うれしいです。 いただいたサポートは、サンプルロースター(焙煎機)の購入資金に充てる予定です。