「30歳までに死」なない人達の話(陰火/太宰治)

太宰治に『晩年』という題名の小説はない。『晩年』は、作品十五篇を集めた第一創作集に付せられた総題であるのだ。(中略)太宰治は自殺を前提にして、遺書のつもりで小説を書きはじめたのだ。

――奥野健男『解説』p333より引用

こんなに、文字どおりじゃなかったことがあるだろうか。いや、ない。と、解説に辿り着いたぼくは訝しんだ。てっきり、未完の絶筆だとばかり。(でも、よく考えてみれば、『グッド・バイ』という、まさしく未完の絶筆があった。)


けれど、もともと『晩年』の表題作(は、解説の通り存在しなかったんだけど)じゃなく、『陰火』が読みたかったぼくなので、特に問題はなかったのだった。


読み始めてしばらくして、『陰火』はぼくの予想を裏切った。『誕生』『紙の鶴』『水車』『尼』の掌篇からなる小品集だったのだ。(文庫本で計20頁程度。)『晩年』と同じく、『陰火』も総題でしかなかった。作品集の中に作品集。マトリョーシカみたいだ。


『陰火』は連作じゃなく、とりとめのない話の寄せ集めのように見えた。そのせいなのか、「よくわからない」が最初の感想だった。ただ、『陰火』の節々に、『晩年』が太宰の「第一創作集」で、「遺書のつもりで小説を書きはじめた」のを感じた。

彼は感情と智能とが発達していて、生命は短いということになっていた。おそらくとも、二十代には死ねるというのである。

――太宰治『誕生』p300より引用

当時、太宰は満27歳だった(解説より)。あと数年すれば、30歳になる。そして、「おそらくとも、二十代には死ねるというのである。」なんか、巷の「30歳までに死にたい」と同じ臭いがする。結局、太宰も「彼」も、30歳を越えても生きていた。なんだ、「30歳までに」って。そういう奴は大体死なないんだよ。と、謎の憤慨。

休止は、おれにとっては大敵なのだった。かなしい影がもうはや、いくどとなくおれの胸をかすめる。(中略)おれは動いていなければいけないのだ。

――太宰治『紙の鶴』p309より引用

この一節は、よくわかる。ものすごくわかる。自宅でじっとしていると、思い出したくもないことが、まさしく「胸をかすめる」ぼくは。それゆえ、常に動かずにはいられないぼくは。「なんか腹立たしいな」と思ったばかりのぼくは、創作とはいえ太宰と意見が被ったことに、微妙な居心地の悪さを覚えた。


ことばとしての『陰火』は、「墓場などで、燐などが燃えて発する青い炎」らしい。くり返しになるけど、『陰火』は各々の話が繋がっているわけじゃない。


それはこの作品群に、頼りなく妖しい火を見たせいかもしれない。(どのタイミングで題名を付けたのか、わからないけど。)もしくは、太宰自身の形容なのか。どちらにせよ、「遺書のつもりで小説を書きはじめた」太宰にふさわしい題名だと思った。

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陰火(『晩年』収録) - 太宰治(1947年)

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