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僕には、名前がふたつある。

5/28。

3:40起床。

天気は晴れ。


1.××

今日は病院にいる。少なくとも、今日の午前中は。この一時間は。この一分は。いまから三分後にどこにいるかは、誰にもわからない。ただ、自分が自分の外にいるという感覚は、日に日に薄れてきている。

――ニール・シャスタマン(訳:金原瑞人、西田佳子)『僕には世界がふたつある』p186より引用

昨日、久々に病院に行った。


三週間ぶり。一週間おきに通っていた僕にしては、めずらしい。


仕事を辞めたから、とかそういうのじゃなく、ある時から、先生との折り合いが悪くなったから。(詳しくは、いわないけどね。)


三週間も来てなかったので、近況報告が中心だった。……いや、近況報告が主じゃない診察なんて、なかったな。次の診察も、三週間後になった。


もう、先生に話を聞いてもらう必要はないのかもしれない。でも、薬は必要だから。処方してもらわないといけないから……。


三週間分の薬を整理するのは、結構面倒くさかった。

2.相地

来る日も来る日も、小説を書いている。


好きだから、だけじゃない。よくわからない焦燥感に、ずっと追われている。おかげで、夜もぐっすり眠れない。


レポートパッドに書き付ける度に、PCに打ち込む度に、自分が自分じゃなくなっていくような、そんな気がする。


そもそも、『自分』って何なんだろう。ここでいう『自分』は……。小説を書く僕は、『相地』であって、『××(本名)』じゃない。と、思っている。でも、実はそうじゃないのかもしれない。


書いているときの僕、書いていないときの僕、オンラインの僕、オフラインの僕……。どれも僕だけど、どれも僕じゃない。


どれが『相地』で、どれが『××』なんだ? 僕は、時々わからなくなる。


そして、最終的に「そもそも、自分はどこにもいないんだ」と結論付ける。


たぶん、頭が悪いんだと思う。

3.僕には名前がふたつある

仕事を辞めたことで、『××』よりも『相地』として振る舞うことの方が多くなった。まあ、ほとんどうちにいるし、パートナー以外との交流はネット上に絞られてきたから、そりゃそうなんだけど。


日に日に、『××』と『相地』の境界がなくなっていくのを感じる。その内、『××』も『相地』も、そして僕も――跡形もなく消えてしまいそう。


ああ……いけない。また、今夜も眠れなくなりそうだ。今朝も、4時前に起きてしまったし。


僕には、名前がふたつある。だから、気を付けないといけない。自分が生み出したものに――自分が恐れているものに、呑み込まれてしまわないように。




「僕だけが、鳴いている」


これは、
僕と、ドッペルゲンガーのドッペルさんの話。


連載中。


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