夢の余薫(水銀飛行/中山俊一)

そこには、暗闇があって。上も下も前も後も。どころか、ぼく自身も、暗闇だ。けれど、辺りの暗闇と、暗闇のぼくは、別物であることを、知っている。そこには、地面もあって。歩く度に、足跡が残るから。その足跡は、柔らかく発光しているから。そんな夢のようだった。

落鉄の煌めくターフに青年期重ねる四月 晴れの重馬場(p100)

「夢のようだ」は、「桃源郷のようだ」のイコールのように、捉えられることが多いけど。そうじゃなくて。ぼくは、実際に見る夢の話がしたい。実際の夢は(人によるけど)ユートピアでもディストピアでもない、気がする。


荒唐無稽。そう感じるのは、目が覚めてから。夢の中のぼくにとっては、そこが現実だから、「荒唐無稽」とか思わない。疎遠の人と親密でも、知らない人と恋人でも、なにも思わない。だって、これは現実だ。なにも、おかしいことはない。

パイプ椅子折りたたむとき、ついにきみ来なかったよね 花は持っとく(p60)

覚めてしまえば、すぐに忘れるけど。時々、よくわからない感覚に、とらわれたままのときがある。気持ちいいような、悪いような。行き過ぎた陶酔? それが、薄れたもの? いずれにせよ、「所詮」夢だ。コーヒーの匂いを嗅げば立ち消える、儚い感覚。それを、惜しいとも思わず。だって、忘れるから。


本物の現実にいながら、夢から抜けられずにいる? それとも、本当はネガティブなものじゃなく。余薫、だろうか。『水銀飛行』は、夢の余薫を纏っている。「夢のような」ではない。「悪夢」でもない。誰かが(ぼくが)くぐってきた夢。その、残滓の匂い。

電球のまだあたたかい首筋を捻る あかるい産道のなか(p109)

匂いは、目に見えない。はずなのに、見えるのは。いくつもの匂いは折り重なって、複雑になって。けれど、一つ、また一つと手繰り寄せれば、するりほどけて。ぼくの手をあたためる。冷たくすることもある。清水に爪先を浸すような。陶酔。ぼくは思う。いくつも忘れた夢に、さらにいくつも神経が通っていたことを。生きるぼくの、生きた夢。

草笛の草の選別ふたりして秋の葦原掻きわけてゆく(p72)

暗闇がある。忘れるので、覚めれば夢はブラックアウト。けれど、足下で灯る明かり。立ち上る香り。ぼくは、つかの間放心した。そしてまた、歩き出した。


『水銀飛行』

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水銀飛行 - 中山俊一(2016年)

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