カトルとタタン_2_

sister

「おはよう、カトル」
『おはよう』は、起きてる人にするあいさつだ。
だから、カトルは答えない。
まだ、寝てるから。

こんなことは初めてだ。
カトルはいつも、ぼくよりずっと早く起きる。
ぼくが起きたときには、朝ごはんができてるように。

ぐうぐう眠ってたぼくの鼻がひくひくと動いて、
パンが焼けるいい匂いをかぎつける。
ぼくは起き上がって、梯子をとととと下りる。
キッチンに行くと、
カトルがちょうどトーストを皿に取り分けるところだ。
カトルは、ぼくを見てほほえむ。
「おはよう、寝ぼすけさん」

今日のぼくは、ぐるぐる鳴るおなかで目が覚めた。
おなか減ったな、と思ったら、
カトルがまだとなりで眠ってたことにびっくりした。
あんまりびっくりしたから、ぼくはベッドからころげそうになった。
カトルとは、寝るときはいっしょだけど、起きるときはひとりだから。

どうしたんだろう。
昨日、いつもと変わったことなんて、なかったはずなのに。
眠る前は、いつものように子守うたを歌ってくれた。

ちびのウィリー・ウィンキー
ねまきでまちを かけまわる
一かいでとんとん 二かいでとんとん
まどをたたいて かぎあなごしに さけぶのさ
こどもたちは みんなねたかい? 八じだよ もう八じだよ……。

カトルは、自分で歌った子守うたで眠くなっちゃったのかな。
いつもは、そんなことないのに。
『ちびのウィリー・ウィンキー』がまちがえて、
カトルを眠りの世界に連れていっちゃったのかな。
もしそうなら、許さないぞ。
……怒ったら、もっとおなかが減ってきちゃった。

カトル。
カトルはきっと、今帰ってるところなんだ。
ちょっと遠くまで行きすぎたから、
その分帰るのに時間がかかってるだけさ。
大丈夫、大丈夫……。

ぼくは、ぽんと膝をたたく。
うん。
眠りの世界がどんなところかは知らないけど、
きっと長い道のりだろうから、
カトルのおなかはぺこぺこになってるはずだ。
ぼくが、朝ごはんを作ってあげよう。

キッチンに下りると、いつもとちがう匂いがした。
キッチンにあるいろんなものの匂いが薄い。
カトルはいつも、何の匂いもしない中で朝ごはんを作ってたんだ。
いろんな匂いといっしょに、ぼくを迎えてくれてたんだ。
今日は、ぼくがカトルを迎える番だ。

「カトルカトル、どうしてカトルのごはんはおいしいの?」
「ふふ。それはね、タタンのうれしい顔が見たいからよ」
ぼくは、あんまり料理をしたことがないけど、
カトルが言ってたことばが本当なら、きっとぼくにもできる。

ぼくは、キッチンのすぐとなりにあるパントリーに入る。
粉の匂い、くだものの匂い、やさいの皮の匂い……。
全部の棚に、いろんな食べものがぎっしり並んでる。

パンがあるところは知ってる。
ぼくの頭よりちょっと上の棚にある。
そこはよく見えないけど、
ちょうど目の前にある、
キウイのジャムの瓶とレモンカードの瓶が目じるしだ。
その上を手でさぐってみると、小ぶりの紙袋をつかむ。
他のものに変えてしまわないように、
そうっとそうっと気をつけながら……。
紙袋を開けてみると、中にはパンがちょうど2切れ入ってた。
ぼくは2つのパンと、じっとにらめっこする。
……こっちの方が、ちょっとだけ大きい。
大きい方を、カトルのにしてあげよう。

次は、バターとハチミツだ。
パンには木いちごのジャムを塗ることが多いけど、
今日は、とびっきりの朝にしたいから。
たしか、バターもハチミツも同じところにしまってあるはず。
バターはすぐに見つかった。
見なれたバターベルは、ジャムの瓶の森にかくれていた。
でも、ハチミツが見つからない。
同じところにあると思ったのに。
森をかきわけても、なかなか出てこない。
ぼくは、はて、と首をかしげる。
「ハチミツー、ハチミツー、出ておいでー」
しっかり耳をすませると、棚の奥の方からごとごと音がした。
これは、小麦粉がつまってる袋が並んでるところだ。
行ってみると、大きな袋と袋のすき間に、
ちっちゃなハチミツの瓶が見えた。
瓶を手にとってみると、それはぼくの手よりもちっちゃかった。
ハチミツはとても貴重なんだと、カトルは言っていた。
だから、こんな後ろの方にいたのかな。
「出てきてくれて、ありがとう」

ぼくは、バターベルといっしょにハチミツの瓶もテーブルにおいた。
パンはどっちも、トースターにセットする。

よし。最後はスープだ。
ぼくでも持てそうなおなべを選んで、庭のすみにある井戸まで運ぶ。
小さいのを選んだつもりだったけど、
やっぱり、ぼくにはちょっと重たい。
でも、がんばった分きっとスープはおいしくなるさ。
井戸から水をたっぷり汲むと、おなべがもっと重たくなった。
ぼくはよろよろ歩きながら、庭のまんなかに向かう。
よいしょっとおなべを下ろす。
おなべに張った水に、ちっちゃな太陽がうつってる。
空の上の太陽と、水の上の太陽。
これで、太陽は2つになった。
水の上の太陽は、ときどき波を立てる。
空の上の太陽は、まっしろに輝いてる。

「ねえ、お願い。
 君の力をちょっと分けてくれないかな。
 ぼく、カトルにおいしいスープ食べさせてあげたいんだ」

ぼくがお願いすると、空がちかちかとまたたいた。
水の上の太陽が、だんだん水に溶けていく。
それは、くるくると水の中を回っていき、
おなべの中に金の色をつけていく。
おなべからぐつぐつ音がして、
まっしろな湯気が顔にあたる。
これで、コンソメスープの完成だ。

もたもたとキッチンに戻ると、こうばしい匂いがただよってた。
トーストは、きれいなきつね色に焼きあがってた。
おなべは、なべしきの上にどすんと乗せて、お皿の用意をする。
パンはひらべったいお皿に、
スープはちょっとだけ深いお皿によそって、
それから、ミルクもコップについで、
バターとハチミツを並べるのも、忘れずに。
まっしろなお皿にそそがれたスープは、
すっごくきらきらしていて、ぼくの顔をうつした。
ぼくはそれを見て、にっこり笑う。
やっと、朝ごはんができた。

ぼくは、かけ足で梯子を上る。
屋根裏部屋にも、この匂いは届いてるはずだ。

カトルカトル、ぼく朝ごはんを作ったんだよ。
カトルがとびっきり元気になる朝ごはんを……。

そのことばは、口にする前にしぼんでしまった。

カトルが、起きてる。

でも、ぼくが上がってきたことには気づいてない。
ベッドから起き上がったまま、明かり窓の方を向いてる。

じっと、動かずに。

カトルの顔はよく見えないけど、
でも、それは何かよくないことのような気がした。

「カトル、」

ぼくは、カトルの名前を呼ぶ。
カトルは、ゆっくりとぼくの方を向いた。
体がちゃんと動くのをたしかめるように。
カトルはここにいるはずなのに、
まだどこかで迷子になってるような、
そんなぼうっとした顔をしてた。

「タタン……」

カトルが、ぼくの名前を呼ぶ。
ぼくは、カトルがまたどこかに行ってしまう気がして、
カトルをぎゅっと抱きしめた。
「カトル、そうだよ。
 ぼくだよ、タタンだよ。
 おかえり」
ぼくは、カトルの顔が見れなかった。
カトルがいなくなったらって、
こわくてこわくて、しょうがなかった。
カトルは、ぼくの背中をそっとなでた。
それは、ぼくが寝る前にいつもしてくれることだ。
「……ただいま、タタン」
カトルも、ぼくをぎゅっと抱きしめてくれた。
「私、少し寝すぎちゃってたみたい」
「……カトル」
「心配させてごめんね、タタン」
カトルにぎゅっと抱きつくと、花の匂いがする。
これはカモミールの匂いだって、カトルは教えてくれた。
この人はカトルだ。
ぼくの、たった1人のお姉さん。
「……あら、いい匂いする」
「うん。ぼく、朝ごはん作ったんだよ」
「まあ、あなたが?」
「だってカトル、おなかぺこぺこだと思って」
「すごいわ、タタン。いつもは寝ぼすけさんなのに」
「寝ぼすけじゃないもん。カトルが早起きなんだもん」
「ふふ。だって、あなたのうれしい顔が見たいんだもの」
そう言って、カトルはにっこり笑った。
スープにうつったぼくと、同じ顔。

ぼくはカトルの手を引いて、キッチンへ下りた。
出来たての朝ごはんが、ぼくらを迎える。
「トーストにスープにバターに……それにハチミツまで。
 ハチミツなんて、よく見つけたわね」
「ふふん、なんたってぼくは、カトルの弟だからね」
「さすが、私の弟ね」
2人でくすくす笑いあう。
いつもと、変わらない朝。
「ハチミツなんてひさしぶり……まだパントリーに残ってたのね」
「パントリーが、ぼくのお願いをきいてくれたのかも」
「お願い?」
「カトルに、とびっきり元気になるものを食べてほしいって」
カトルはじっとぼくを見つめた。
さっきみたいに、
ちゃんと、ぼくがそこにいることをたしかめるように。

ねえ、カトル。
カトルの目は、とってもきれいだよ。
でもその目にはいつも、悲しみがうつってること、知ってるよ。
こんなこと言っても、きっと「そんなことないわ」って言うだろうけど。
だから、せめてぼくは、カトルのそばを離れたりしないよ。

カトルはふうと息をつくと、またトーストをかじった。
かりかりに焼けたところが、ぱりっと割れる音がする。
「本当、おなかぺこぺこだから、タタンの分も食べちゃおうかしら」
「むー……カトルがそう言うなら」
「あはは、冗談よ。タタンはやさしい子ね」
カトルは心からおいしそうに、
ぼくの作ったごはんを食べた。
ぼくが、カトルのうれしい顔が見たかったから、
きっとおいしくできたんだ。
それがうれしくて、でも少しだけ悲しかった。

「カトル」
「なあに?」
「どこにも行かないでね」

カトルはちょっとだけ目を丸くして、
それからくすりと笑った。

「もちろんよ。
 だって、早起きさんにお礼のおやつを焼かないといけないもの」
「本当?じゃあ、アップルパイがいい」
「あら、昨日もそうだったのにいいの?」
「うん。だって、カトルのアップルパイは世界一だもの」

ぼくは、カトルが笑ってるとうれしい。
カトルが幸せでいると、もっとうれしい。
カトルが幸せでいられるように、ぼくはいる。
ぼくは、カトルの弟だから。


参考書籍:谷川俊太郎、和田誠、平野敬一(1981)
    『マザーグース1』,講談社.
     小西友七、南出康世編(2006)
    『ジーニアス英和辞典』第4版, 大修館書店.

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