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相地
2019年4月24日 21:00
4月になった。僕は、また瞑想をするようになった。瞑想といっても、あぐらをかいてじっとしてるだけなんだけど。たいてい、夜にする。世界が見えにくく、聴こえにくくなるから。それは、僕を何より安心させる。そして、僕は目を閉じる。――そっちの調子はどう?僕は訊く。しばらくして、――最低だよ。返事が、来た。もちろん、返事をするのも僕だ。ただし、別の「僕」だけど。――そう
2019年4月17日 21:00
――もしもし。どこからともなく、声がした。――はい。僕も、どこへともなく返事をしてみる。―もう少しですね。声は、言う。――何がでしょう。僕は、首をひねる。――わからなくても、けっこうです。僕は、ますます首をひねる。――あなたは、だれですか。僕の方からも、訊ねてみる。――それも、もう少しです。声は、まるで夢を見ているようだった。――きっと、みちがえるように、そこで
2019年4月10日 21:00
「忘れる」は、ときどき、「葬る」と同じになる。そういうときの「忘れる」は、つまり、「忘れたい」ことを、自分の中から放り出すってことだ。多分。なんだか、そうなると「忘れる」っていうのは、自然とそうなることじゃなくて、自分がそう願ってすることみたいだ。「無かったことにしておきたい」ことっていうのは、たぶん、誰もが抱えているんじゃないかな。多かれ少なかれ。どちらでもいいんだ
2019年4月3日 21:00
3月から4月になること。それは、6月から7月になることより、10月から11月になることより、なにか、とても大きなことのような気がする。それはきっと、その人にしかわからないこと。何年か前に、何かの折に、8ミリフィルムの映像を見せてもらったことがある。子どもを抱きしめている母親。総出で押し入れを片付けている家族。米の脱穀の手伝いをしている子どもたち。そこには、日々の営みの中