生まれる(アイル/haruka nakamura)

3月から4月になること。
それは、
6月から7月になることより、
10月から11月になることより、
なにか、とても大きなことのような気がする。
それはきっと、その人にしかわからないこと。

何年か前に、何かの折に、
8ミリフィルムの映像を見せてもらったことがある。

子どもを抱きしめている母親。
総出で押し入れを片付けている家族。
米の脱穀の手伝いをしている子どもたち。
そこには、
日々の営みの中の、人と人の、たくさんの姿があった。

見終わった後、僕はたくさん拍手をした。
たくさん、たくさん。

なぜか僕は、ひどくぼんやりしていて、
それから、すこぶるあたたまっていた。
なんだか、えもいわれぬ「幸福」に包まれているような。
そう、それは例えるなら「幸福」といえるようなぬくもりだった。

ああ、そうか。
フィルムは、切り貼りできるから、
これには、撮影した人にとって、
いとおしい瞬間がつめこまれているんだ。

もし、自分の人生がフィルムに収められているとしたら。

この世に生まれたとき、僕は何を思ったんだろう。
何も知らない僕には、世界がどう見えていたんだろう。

やがて、赤ん坊から子どもになって。
子どもから大人になって。
大人になったら、大人に褒められることは少なくなって。
その代わり、恨みつらみはたくさん。
だから僕は、少しずつ傷んで、腐って。
もう死んでしまうんじゃないかって。

もし本当に、人生がフィルムなら、
僕は、「きれいなときの僕」まで巻き戻してって、
泣いて、叫んで、わめいたりするのかな。

でも、こんな僕に、
手が汚れるのもかまわず、さわってくれる人もいた。

だからきっと、
僕のフィルムには、
(誰かのフィルムも、きっとそうだと思う)
余分なものなんて、無いよ。

いつかは僕も、フィルムを見返すんだろうか。
きっと僕は、直視することなんて出来ないだろうけど。

でも、それでいい。

目を背けたくなったら、背ければいい。
耳を塞ぎたくなったら、塞げばいい。
ただ、大切にしている(していた)ものだけは、見のがさないように。

3月から4月になること。
去年のフィルムを外して、
今年のフィルムを装填すること。

4月になって、
僕が、初めて目にするものは何だろう。
これまでの4月に、
僕は、何を見てきたんだろう。

ああ、もうすぐだ。
まっさらなフィルムが、産声を上げる。

産声は、こう云っている。

アイル。

I'll。

うん、
ありがとう。
その先は、僕が綴っていくから。

また、今日が生まれていく。

アイル(「アイル」収録)/haruka nakamura

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