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パフェ竜がマメ竜に『最善手ドリル』★10★

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こんにちは! 藍澤誠です。

最善手ドリルも10回目の中間地点。今日も「最善手」を目指しましょう!

【問題】

夏休みの宿題として作文の課題が出ました。「ぜんぜん書けません」と白紙の原稿用紙3枚を持ってきたのは中学3年生男子パフェ竜。テーマは「努力」です。あなたが塾の先生としてとるべき一手はどれでしょう。

①先生がその場で代筆して、作文の書き方の手本を示す。
②書きたいことを四コママンガにして、それを作文に変換する。
③テーマは努力なのだから、書けるまで努力させる。

制限時間2分

【解説と解答】

「ぜんぜん書けない状態」は、「努力すらできない状態」である。「泳ぎ方がわからない人」に、「いいから泳げ」と言っても仕方がないように、「書き方がわからない生徒」に「書けるまでやれ」は時間もムダだし、おそらく嫌な思い出しか残らない。というわけで③は悪手だ。

②は意外性もあり善さげだが、「四コママンガ」と「原稿用紙3枚」との間に、ボリュームにおける隔たりがある。「つまらない作文しか書けない」という人にとっては、オチを意識して進めていく四コマ変換方式は善い手かもしれないが……。そもそも「四コママンガを編集できる人」は、「ぜんぜん書けない」という状態にはなりにくいのでは。つまり、本当に書けない人にとっては、「ぜんぜん書けないです」→「四コマにしてみてよ」→「それもムリです」みたいな展開になるのは必定。

とにかく「何も思いつかない」と言う子がいるのだ。教える側の先生は「そこそこは書ける人」なので、つい「何も書けない」という状況を「甘く」考えてしまう。そんなはずはないだろう、何も思い浮かばないとかないだろう、思いついたことをそのまま書けばいいと。

ここで「何も思い浮かばない」という状況を理解するために、少し設定を変えてみる。「努力がテーマの小説を書いてください。字数は1万字です」という状況を与えられたときに、あなたはすぐに書けるだろうか。

「小説」ということで身構えてしまうのではないか。「1万字」という量が想像もつかない人も多いだろう。この状況で「何でもいいから思いついたことを書いて」と言われても、弱ってしまうにちがいない。「何も書けない」とヘルプを求めてきた生徒は、きっと弱っている。それならば、方法を伝授したい。

最善手:①先生がその場で代筆して、作文の書き方の手本を示す。

◎実戦の棋譜を見てみよう

私はすぐにパソコンを立ち上げ、中3男子パフェ竜に「見てて。作文はこうやって書くんだよ」と目の前で実例を示しました。パフェ竜がその直前に「サッカーは上手いんだけど、性格が悪いヤツがいるんです」という雑談をしていたので、その子を「主人公=性悪くん」に選びました。手本として示した作文のあらすじはこんな感じです。

 性悪くんはサッカーキャリアが長く、近所では有名な男子。大会でときどきあたるチームの中学校のエース。しかし……点は取るが、性格が悪く、相手チームに対し、ラフプレーが多いし、勝ち誇った顔が憎たらしい。サッカーの才能だけがあるタイプ。先日の試合は自分(パフェ竜)のチームのボロ負け。後味もものすごく悪い。そんな性悪くんに勝つには、どうしたらいいか。努力して自分が上手くなり倒すしかない。努力に勝る天才はなし、という名言を信じる。
 さっそく朝練をしてみるが、これが結構大変で、これまで努力したことがない自分は、時間通り起きられないし、自主練も下手でなかなかまともな練習ができない。しかし、あれこれ試したり探したりして、ようやく起きられるようになり、一人で練習ができるよいフェンスがある練習場所も見つけた。しかしそこには常連がいて、それが——性悪くんだった。性悪くんは、もうここで何年も、果てしなく朝練を続けているというのだ。性悪くんの表情は、試合のときとは全く違う。一緒に練習してくれた。仲間と認めた人間に対して彼は、心やさしかったし、いろいろ教えてくれた。
 努力もしないで人を見下していたのは、自分だということに気づいた。自分が努力をはじめたとき、努力をしている人のすごさがわかったし、努力すると、努力している人とつながっていけることがわかった。次に彼のチームと試合をするのが楽しみだ。

「努力をはじめたとき、努力をしている人のすごさがわかる」という一文が着地点。着地点に向かって話が進んでいくように構成する。努力始める前と後の自分のちがいがはっきりするように気をつける。努力する前は彼を「性格が悪いヤツ」と思っていた。それが努力したあとは「人を見下していたのは自分」と気づく。すぐに気づくのではなく、努力の大変さ(朝起きる難しさや、一人で練習するときのメニューの単純さなど)を書いておく。名言を混ぜる出だしを工夫する「ちっ下手くそが」みたいなセリフから始める、などなど。

パフェ竜は、さっそく私が書いた「梗概」を参考にして、自分の言葉でそれを膨らましたり、会話部分を脚色して書いたりしてオリジナル作文の製作を開始しました。すごく楽しそうです。

イメージとしては「ぬり絵」に近いような気がします。下絵があって、それに色をつける。文章を書くのに「いろいろな方法がある」ことを知ったのが新鮮だったらしく「もっといろいろ書きたい!」と言ってくれました。また「ウソがウソじゃなくなってきた」という「フィクション」についての、ユニークな感想もくれました。この文章はフィクションだけれど、「この文章を書いた自分」にとって、現実の世界がどのように見えるかがポイントです。フィクションとは何か、という問いかけにもつながっていく。

はたから観ると「塾の先生が作文を手伝ってくれた」という状況かもしれない。「宿題をやってもらっちゃダメ。ズルい」という親や友達もいるでしょう。ただ、私としては当事者の「気づき」の方を大事にしたい。「宿題をやってもらっちゃダメ。ズルい」という批判は、「ズルい」というところ(公平性?)に目が行っていて、「得られるもの」を勘定にいれていない気がします。

書ける人は、まったく頼らなくていいでしょう。私も頼らずに済んでいるタイプでした。そういう人が「書けない人」に対し、「ズルするな。自分でやれ」と言って追い込むか、それとも手を貸し、自分の手法をシェアするか。どちらが最善手かという話だと思います。

「そんなこと塾の先生にやってもらうなよ。自分がもっとうまく教えてやるよ」というのがもしかしたら最善手かもしれません。その「自分」は友だちだったり、先輩だったり、お母さんだったり。書くことに限らず、得意なことを気軽に共有し合える状態が作れると善いですね。

逆に——大人が、書けないのが明らかな子に対し「手伝ってもらうな」といって、自らは手法も示さず、「ただ自力でやった」という一点にだけ価値をもとめ提出したという事実だけを評価するパターンは、私だったら避けます。

パフェ竜は「手伝ってもらった作文」が評価されてしまったために、周りから「書ける人」と見られるようになりました。彼がユニークだったのは、その状況を思い切り楽しんで、それに見合うように、国語と推薦入試の小論文対策として、作文の練習を重ね、自分自身を「作文が出来るキャラクター」へと編集し上げたことです。

「トウキョウ」——オリンピックの開催地に東京が決まった瞬間、僕は自分の運命も決まったような気がした。2020年には僕は大学をちょうど卒業するころだ。社会で活躍できる年齢なのだ。

こんな出だしの作文を、私の力をまったく借りずに書けるようになりました。学校からのフォロー(書き方の指導やコツの開示)もなく、投げっぱなしで出された夏休みの宿題から、多くのことを学んで、自分の自信と力に変えたパフェ竜くん。そんなパフェ竜くんは、塾に在籍しているときはよく、私の放つギャグや、失敗エピソードなどをメモっていました。そして塾を卒業するときに

「ボクの60パーセントは先生でできています」

というメッセージをくれました。正直うれしいというより「ごめん……」と思ったのですが、この先、どんどん経験して、そのパーセンテージを減らしていって、1パーセント未満になったころに、会ってみたいです。

そんなパフェ竜は、最新のウワサによると、大好きな彼女が出来て、その子にせっせとお菓子を作る「マメ竜」になっているらしいです(笑)ていうことは、もう1パーセント未満だね、きっと。

★11★へつづく




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