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自意識の使い道

27歳。

この歳になってやっと、自分の好きなものを
自信を持って言えるようになった。

"読書、映画、文を書くこと、、文学や芸術と言われるもの全般に触れることが好きだ"

これを趣味として語れるまでには、
今まで生きてきた中で、拗らせながら培ってきた恥ずかしい自意識が関係していると思っている。

それは、芸術や文学への憧れで、

芸術や文学を理解出来るような「才能」がある人に憧れている、ということだ。

そして自分はそういったものを多少理解できる側の人である と思っているフシがある。


今思うと、幼少の頃から
人と違うセンスに嬉しさを感じるような子供だった。

人間関係においては、
みんなと同じ空間にいることや、
調和のとれた存在になることに異常に固執して、外れることに怯えていたのに、

好きなものや身に付けるものは、人と違うセンスを欲していた。
それが少し不思議だった。

読書することが派生し、
分かるようで分からない詩集を読んだり、
理解できているかはさておき、
美術館に行って絵を見たり、
写真展に行ったりするのが好きになっていった。

大学生になるころには、
人とは少し違うような個性的なものを見つけることが楽しくて古着が好きになっていったし
成人してからは、一人で美術館に行ったり
古着屋巡りをしたり、マイナーな映画を見るようになっていき、
今でもそれは趣味として続いている。


私がそういう芸術や文学のセンスに憧れるようになったきっけは、
はっきりとは覚えていないが今思うと
他人と比べた時の「劣等感」だったのだと思う。


何も得意なものがなく
人よりできることもなかった私は、
自分の個性を表すことのできる場所を探していた。
そもそも個性なんてあるのか?とも思っていた。

でも、人間関係の中でズレることは異常に怖がり、
当たり障りない受け答えしかできずにみんなに馴染もうとして
余計に、自分で個性が発揮できる場所を殺していたように思う。


そんなわたしにも些細だけれど好きなことはあって
空いた時間に、本を読んだり映画を見たりすることがそれだった。

ただ、それが派生してさらにもうすこしディープな部分にも興味を持ち、
それを多少なりとも語れるようになり、
文章を読んだり、作品を観たり
こういう風に文章を書くことも等しく好きなのだと気がついた。

純粋に、好きで映画を見ているし、
理解できているか定かではないが
好きで個展に足を運ぶこともある。

でもたまにどこかで、
そんな「センスが分かる自分」が
好きでお気に入りなのかも、、
と思うこともある。


いままで27年間生きてきた自意識が集結して、
今の趣味につながっているのかもしれない、と思うのだ。

だから、今趣味がない、好きなことが見つからないけど、見つけたい
そんな人は
こんな風に人から見られたい、これわかる人ってかっこいいよなぁ、、みたいな
自分の心の中の気持ちと向き合って
ちょっと背伸びして始めてみるのをお勧めしたい。

それが意外とハマって自分のものになるかもしれない。

今までの生きてきた中で培ってきてしまった自意識、
消化させてあげることができると思う。
自意識過剰も活かしよう!


ちなみに、私の2人いる従兄弟はどちらも音楽を作って、歌っていて
ひとりは結構有名になって、大きいフェスに出たり本も出している。
私の祖父はかなりの本の虫だったし、芸術にも興味があったようだった。
さらに先祖には画家がいたと聞かされてきた。
両親は2人とも、手に職をつけて働くような技術職だし、
私だってそんな家系なら少しぐらい芸術の血があるに違いないと信じたい気持ちはある。
でも
今まで、読書感想文で賞を取ったこともなければ、
美術の絵が選ばれたことも、工作の時間の作品が褒められたこともない。
(どちらかといえば絵は下手だ)

だからそんな才能の血は残念ながらわたしにはない。

でも自分の個性を生かせている人たちに憧れて
文学をもっと知ろうとしたり、ちょっとコアな作品にふれたり、
好きの延長上で少し背伸びして手を出したことが、
今はとても自分にとって心地のいいことになっている。
多分もう趣味と言っていいと思う。

今の時代これを「サブカル」と一蹴されるのは少し癪だが、
わたしは今までの自意識や劣等感がこんな感じで大人になって消化されて
ほんとうによかったなぁと思っている。

そして、かなり時間かかったな、、とも。



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