自分の宗派以外を信じた場合地獄に落ちる?そんな馬鹿な!

さてと、前回は、こういった信教の自由を用いて、犯罪を正当化することを恐れる声明を出した。

さて、なぜ、そういうことを言いだしたか。実は、幼少期に「地獄」に関しては、疑問を持つようになり、これが「宗教というのはカルトを含めていかがわしいものでは?」という疑問を持つようになったきっかけになった。結果的に言えば、「地獄」というのは、その宗教にとって都合のいい、いいくるめの言葉に過ぎないのでは?という結論に至った。

私は、5歳の時に、創価学会の狂信者のBBAから、「南無阿弥陀仏と唱えると地獄に落ちる」と言われたことがある。

そもそも、なぜ、こうなったかというと・・・。

もともと、「南無妙法蓮華経」で始まるという念仏は知っていた。ただ、偶然、親戚の法事に行った時に「南無阿弥陀仏」という念仏を偶然聞いた。

その当時は、宗教的な知識はほぼゼロなので、地方によって少し唱え方が違うだろうなという程度にしか考えていなかったので・・・

「南無阿弥陀仏って、南無妙法蓮華経の 念仏の親戚?」と聞こうとしたら・・・。

「南無阿弥陀仏と唱えると地獄に落ちる」と言われたという状況。

いやいや、そもそも、法事で地獄に落ちるような念仏を坊さんが唱えるわけないでしょ・・・という感じしかしなかった。

そもそも、それ、その坊さんに喧嘩を売ってるだけだろ?ということが率直な感想だった。

ただ、なんで、そういう喧嘩を売るようなことを言いだしたのかはだいぶ後になって分かったけどね。

日蓮宗の開祖の日蓮自身が、浄土宗、浄土真宗を始めとする他宗に喧嘩を売っていたということを知ってからね。まあ、以下の「完全教祖マニュアル」によれば、もともと、浄土宗の法然が「法華経は難しくて学ぶ価値がない」と言ったことや、内村鑑三の「代表的日本人」の日蓮の項目によれば、悪党が悪事を働き、家に帰っては「南無阿弥陀仏」と唱えて、また、悪事を働くいたことがあったらしい。

これらのことを踏まえて、日蓮は、「南無阿弥陀仏」という念仏では効果がなく、法華経を学ぶことが、世が安定することに繋がると考えたことが始まりらしい。

いやいや、そもそも、なんで、念仏を唱えたら、世の中が安定になるんだよ?というツッコミしかない。

と、まあ、こういうことがあって、特に日蓮宗というか、日蓮正宗の派生した新興宗教あたりは、かなり過激なことをいうようになったらしいが・・・。

くだらん。

そもそも、それなら、法華経って、そもそも、何?という話だし、あの手の信者は、じゃあ、法華経の何がいいの?原文には何が書いてあるの?と聞かいたとしても、「なんだかわからないが、とにかくいい」程度にしか、返すことはできないだろう。

もう、よくわからないから、勝手に訳文を読むことにするわ。

という話だ。

そもそも、そんなくだらんことで、いちいち、地獄に落ちてたら、地獄に落ちない人はいなくなるし。

大体、他宗が極楽だというところが、実は地獄だったという、謎現象がおきるわ。

それなら、成仏せずに、地縛霊か浮遊霊がサイコーというオチにしかならないんだが・・・。

そういった矛盾を子供の頃から感じていた。

こういう理由もあるが、うちは天台宗の寺に墓があるが、先代が天台宗だというだけで、私自身は、まったく仏教徒という気持ちはさらさらない。

それに、今回の実体験だけでなく、歴史を学ぶにつれ、宗教にげっそりしたという経緯もある・・・。

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