信教の自由を悪党の言い訳にするな!

最近、信教の自由というものに関して懸念を考えるようになった。

そして、信教の自由という言葉は、ややもすれば、違法行為を黙認する言葉になりうるだろうという危惧にさえ、つながっている。

これを考えた発端は今年の夏に遡る・・・。

2022年の7月に安倍元総理が殺害された。これは、犯人が、統一教会への恨みを持ち、象徴のたる政治家を殺害することにより、世間の注目を浴びようとした結果だとされる。なお、本来は、統一教会の幹部クラスの人間を狙う予定だったらしいが、来られなくなったので、安倍元総理が狙われたとも言われていた。

さて、これにより、統一教会の今までの悪事が露見し、そして、宗教二世が声をあげるようになってきた。

実際、このようなvtuberが存在する。

宗教二世が声をあげやすくなったというのは、よかったと思う。

それに・・・私の親戚にも統一教会に入ってしまって、親がそこから引き離すために、苦心しているのを見てきた。まあ、結局、失敗してしまったようだけど。

確か、もう全く会っていないけど、子供がいたはずなので、かなり心配している。

まあ、こういう状況で、こんな感じのことになったと聞いている。

この記事で、特に、気になったところをピックアップすると・・・

「具体的には、体罰で礼拝などの宗教活動を強制することを「身体的虐待」とし、「地獄に落ちる」と脅迫したり友人らを「サタン」呼ばわりしたりして布教活動に無理に参加させる行為や、子供のアルバイト代や奨学金を取り上げて宗教団体に寄付する行為などを「心理的虐待」とした。」(原文ママ)

というのがあった。

この点に関しては、非常に私は賛同している。

これは、どう考えても、本来、脅迫行為に当たるし、もし、これで、「教育」と称して、もし、体罰をしたならば、虐待というか、傷害罪になってもおかしくないことをやっていることになる。

ただ、これに関して、政府から、宗教への弾圧が懸念される声もある。

この人物は、どうも、特定の宗教を優遇して、国家神道のような国教ができることを恐れているらしい。

また、こういう意見もあった。

ただ、はっきり言って、この二つについて、ピンボケしていると言わざるを得ない。

信教の自由と法ということについて、まずは考えるべきだと思う。

なぜならば、うちの国は、法治国家。

ならば、法にのっとり、キチンと、「ならぬことはならぬ」とキチンと決めることが最初。

反カルト法の制定がどうのこうのという御託よりも、まず、統一教会がやらかした違法行為を徹底的に調べあげ、多少弾圧じみていても、違法行為に関して追及して救済をすべき。

もし、違法行為を取り逃がす前例を作れば、今後、他のカルトで違法行為があった際に、追及に失敗する可能性も出てくる。

実際、エホバの証人の輸血の判決と言い、どう考えても、宗教に忖度したとしか思えない判決がある。

緊急時に「許可」などとれるか!

それで、患者が死亡した場合、間接的に、エホバの証人が殺人をしたことになるが、それに対しての責任はエホバの証人にあるのではないか?

といった疑問すらある。

こういうことを繰り返さないために、カルトは徹底的に追及すべきだ。

国が特定の国教を作るとか、海外からの圧力ガとか、信教の自由ガとか、喚いている暇など一切無い。

ここで、カルトへの手を緩めれば、宗教結社の犯罪を取り締まる機会を失いかねないから。

それにしても、「地獄」ね。

カルトのやり口の中に「地獄」という言葉を使って、言いくるめるという非常に卑怯なやり方があることを目撃している。

あれは、何としても、取り締まりの対象にしなければならない。

まして、子供相手に、そんなことを言えば、歴史的知識や宗教的知識がない状態ならば、まず、脅しとして有効な手になることを知っているから。

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