「障害って何……?」と子供に聞かれたとき(インターン記vol.4)
澄んだ目で
「ねえ、障害……?」
小学校中学年の子が、澄んだ目で私を見つめて尋ねました。どうやら、5メートルほど先で大きな声をあげているおばあちゃんの様子を気にしているようです。
その日私は、冬休み中の学童でインターン勤務をしていました。同じ建物内には、重度の障害がある方が通う「生活介護事業所」があります。太一(仮名)さんが気にしていたおばあちゃんは「生活介護事業所」に通われている方でした。
私が「うーんと、」と答え始めてすぐ、その子は友達に呼ばれて去ってしまいました。
同じ日のうちに、公園へと向かう10人乗りの車で、太一さんと私は隣に座りました。
「ねえ、障害ってどういうことを言うの?頭が小さい人とか?」
先ほどの続きのようです。
なぜ、「頭が小さい人」という例なのだろう?と疑問が浮かびます。
澄んだ目でじっと見つめられると、これから伝える私の言葉が太一さんに大きく響くのかもしれないと思われて、「良い答え」をしなければいけない、と考えてしまいます。一瞬の間に、随分といろいろな迷いが浮かんだような気がします。
しかし、その子は答えを待っていました。
「うーんと……。難しいなあ。いろんな人がいるね。例えば、目が見えない人もいるし、耳が聞こえない人もいる。車椅子を使っている人もいる。勉強が苦手な人もいる。人それぞれ、苦手なことはいろいろ、かなあ。どうしてそんな風に思ったの?」
この答えで良いのだろうか……と迷いながら、日々考えている様々なことは一旦置いて、無難そうな答えを絞り出してしまいました。それでも、「苦手なことは人それぞれ」の部分は、この学童にいる児童さんだからこそ、加えておきたいと思って伝えました。
前の列で別のお喋りをしていた子が、いつの間にか私たちの話を聞いていたようです。ここまで話した時、
「問題です!俺が苦手なのは何でしょうー??」
と大きな声で言いました。
「国語!」「社会!」
車内の4人ほどが答えます。
「正解は……!算数でしたー!!」
そのまま、その場の話題は移ろいました。つい先ほどまでじっと私を見つめていた太一さんも、流行のアニメの話で盛り上がっています。
「障害」が身近にある学童
ここは、南高愛隣会が運営する民間学童です。通ってきているのは、近隣小学校に通う児童さん。
同じ建物内には、「生活介護」の他に、「放課後等デイサービス」の事業所もあります。放課後等デイサービス(以下放デイ)は、障害のある子どもが放課後や休日に通う、「障害児の学童」のようなものです。
学童と放デイは建物の1階と2階に分かれていますが、ネットの遊具で繋がっているため上下を行き来できます。放デイに通う児童さんがするすると下に降りてきて一緒に遊んだり、学童の児童さんが上に登っておもちゃを借りたりしています。
また、建物の前の屋外スペースにはブランコがあり、そこで学童の児童さんはボール遊びや縄跳び、シャボン玉などをして遊びます。そのスペースからは、ガラス張りの窓から生活介護の利用者さんが見えます。生活介護の利用者さんは、窓の外の縁側のような場所に座って児童さんたちを眺めることもできます。
この学童の職員の多くは、障害のある子どもの支援などを経験してきた福祉の専門職です。対象とする児童さんの大多数は他の学童と変わりませんが、中には、いわゆる「グレーゾーン」の方(「障害がある/ない」の境界に位置するような方)もいます。地域の他の学童ではうまくいかなかった、ということで、特性を理解することのできる福祉職員がいる南高愛隣会の学童に移ってきました。
つまり、この学童に通う児童さんにとって「障害」は身近なもの。意識している方もしていない方も、日々すぐ隣に「障害」が存在しています。「障害がある/ない」という線引きは絶対的なものではなく、繋がりを持っていること。この学童は、それを象徴するような場所なのかもしれない、と感じました。
「障害」が身近に存在していて、その境界が曖昧であるということは、この学童の児童さんだけでなく、本来私たち全員に当てはまることなのかもしれません。
「障害」についての疑問を言葉にする場所
「障害を身近に感じている」「障害に関心がある」という「大人」は多くないのかもしれません。しかし、「障害」というものは、子供時代は案外身近に感じているのではないか、と、個人的に思っています。
「障害」という言葉で表現するかどうかは別として、自分と「あの子」が違うこと、その異なりに疑問を覚える瞬間は少なくないのではないか、と思います。
私が北海道に住んでいたころ。今から約半年前の9月に、ある公立高校で40人ほどの生徒さんに講演をさせていただきました。
講演といっても、高校生とあまり歳の変わらない自分自身が、「どのような経緯で障害に興味を持ち、東大を休学したのか」といった非常に個人的な話をしたに過ぎません。
私は、高校生とお話できる機会だからこそ、自分が幼い頃から感じてきた「障害」への疑問、モヤモヤ、そして大学での様々な出会いを、できるだけ素直に話しました。私の身近には知的障害・精神障害のある人がいましたが、私自身は小学校から高校まで、世の中が「障害」という話題をタブー視しているような空気を感じて、モヤモヤを吐き出す機会を思うように持てずにいました。
質疑応答を含め1時間の講演を終えたあと、15人ほどの生徒さんが私の前に列を作ってくださいました。その生徒さんの多くは、みんなの前では話しにくかったけれど、なんだかモヤモヤしている、という個人的な話をしてくれました。
「小学校の時に特別支援学級があって、こんな友達がいた。」「中学校の同じクラスにこんな障害のある子がいて、自分はその子と遊ぶのは楽しかったけれど、全体の勉強が遅れるのが本当は嫌だった。」
「こんな風に思ったんです。」「こんな風に思うんです。」
プラスの感情もマイナスの感情も、疑問に思っていることも、たくさんお話をしてくれました。身近な人の老いをなかなか受け入れられないことを、涙を流しながら話してくれた生徒さんもいました。
講演後1時間も教室に残って疑問をぶつけてくれた生徒さんたち対して、私が何かためになるようなことを話すことはできていません。
それでも、生徒さんの様々な考えや感情を聞けたこと、そのような空間を熱心な生徒さんたちが作ってくれたことが、自分にとってとても大切な時間となりました。
同時に、こういう空間を必要としている人は少なくないのではないか、と感じた時間でもありました。
子供から大人になって
「障害って……?」と素直に伝えられる太一さんが素敵だと思いました。太一さんにとって、「障害」は今後、どのようなものになっていくのでしょうか。
自分がだんだんと「世の中」の「障害」を見る目に違和感を覚え、様々な感情を素直に話にくくなったのは小学校高学年頃だったように思います。太一さんが、小学校中学年という幼さからだんだん年齢を重ねたとき、太一さんの周りで「障害」がタブーであってほしくない、と願ってしまいます。
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