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「愛に溢れた人だったね」と言われて最後を迎えたい

20代は…

チャレンジして達成して
チャレンジして失敗して
チャレンジして成長して。

いつのまにかチャレンジすることが私の人生の中で一番と言ってもいいほど、優先すべき事だと思い込んでた。

ひとつのチャレンジが終わり、ある一定期間が経つと

また挑戦欲みたいなのが
湧き上がってきて

"なにか新しいことにチャレンジしたい!!!!"
と思いはじめる。

チャレンジは私にとって、

"やりがい"だったり、"幸せ"を感じるもの。そう思って常に成長し続ける人生がほしいとチャレンジを求め続けてきた。

チャレンジは私の人生にとってとても大切なことなんだけど、ただ一つだけ違ったことに気がついた。

チャレンジは、私の"幸せ"ではないということ。

チャレンジは

私の人生にとって"本当の意味での幸せ"ではないことに気がついた。

もちろんチャレンジは私を成長させてくれる。

チャレンジ=達成感であって

チャレンジ=幸せではない。

この意味を履き違えて生きていると

自分の幸せを求めて、

何度もチャレンジしてまたチャレンジを求めて
その繰り返しでどこまでいっても、ゴールなんてなくて私はゴールのない"挑戦し続ける"という辛い人生のゴールに向うことに…。

本当の意味の幸せはなんだろう?

どんな人生を歩んだら私は幸せなんだろうか?

7つの習慣という本でこんなことを紹介していた。

終わりを思い描くことから始める

人生の終わり。


人生の終わりにあなたはどんな人生を生きれたらあぁ幸せな人生だった。と言えるだろうか。

想像してみてください。

自分自身のお葬式で式にきてくれた人が

『○○はこんな人だったね。彼はこんな人生を送っていたね。』

と話してくれたら嬉しいか。

そこがあなたの人生のゴールだそうです。この問いで自分が本当に大切にしたいヒントが見えてくるそうです。

私は、どれだけの挑戦をしてきたかの人生よりも

どれだけ周りの人に愛をもって接してどれだけ愛を感じる日々を送れたかが自分にとって本当の意味での幸せだと思う。

私が死んでお葬式で

「Aiはよく挑戦してたよね。」

って言われるよりも

「Aiは愛に溢れた人だったよね。」

と言われて最後を迎えられたら
最高に幸せなんだと思う!

一つ注意してほしいのが、周りの人にどう思われたいかではないということ。

これから長い先の人生でもがいたり、思い悩んだりすることがたくさんあると思うけど、そんな時は

''愛に溢れた人生"

これを思い出して、行動をできるようにしたいな。迷ったらいつでもここに戻ってくる。


がむしゃらに突き進んできて疎かにしてきた…
自分にとっての幸せとはなんなのか。人生の優先順位。自分はどう生きたいのか。

立ち止まってぜひこれを読んでるみなさんにも考える時間をとってほしいと思う。

今日もみなさんにとって健康で幸せな1日でありますように。

あいれいにー

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