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まるで蟻のように
人間はなぜ、他人に期待してしまうのか。
その根源を辿れば、たぶん、
言語を持ってしまったから、という答えに行き着く。
言語をもち、
気持ちが通じ合う喜びを知ってしまったから。
「電話が鳴る、そしてこう思う。誰かが誰かに向けて何かを語ろうとしているのだ、と。
僕に向かって何かを語ろうとする人間なんてもう誰ひとりいなかったし、少なくとも僕が語って欲しいと思っていることを誰ひとりとして語ってはくれなかった。」(村上春樹 『1973年のピンボール』より)
直子のことか、キズキのことか。
どちらにせよ、あのワタナベくんでさえ、僕でさえ、誰かに期待していたことは確かだ。
ふと思う、
人間が言語を持たなかったら、と。
なにぶん、理性で抑制をかける必要はなくなる。
誰か1人を選び、愛する必要も責任もなくなる。
感情の赴くまま、心地よいと感じる相手と共に過ごし、気が変わればまた違う相手を選び、愛し合う。その瞬間を。
極めて限定的な、自由恋愛の形。
かつて全人類がそうであったように。
岩本町駅のドトールの2階、
窓際の席に腰掛け、外の世界に目をやると、
蟻のように実に行儀よく秩序を守り、縦横無尽に隊を成す自動車の群れ。群れ。
こんなことを考えていると、
人間が勝手に作り上げた行動規範に従順に従っていることが、なんだか全て阿呆らしく思えてくる。
さあさ、仕事に戻らなくては。
人間が築き上げた、幻想の世界へ。
「多かれ少なかれ、誰もが自分のシステムに従って生き始めていた。それが僕のと違いすぎると腹が立つし、似すぎていると悲しくなる。それだけのことだ。」
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