うららかな春の陽(よう)に

もう喪(うしな)いたくない・・・
もう怖いおもいをしたくない・・・
今度はうまくいかせたい・・・

ひとつ望めば、また新たな欲(ぼんのう)が生まれる。
渇望という負のループだ。
もう、終わらせようじゃないか。

恋も、愛も、なにも、望むものはない。
情(なさけ)も、金も、なにもいらない。
そうすれば、自然、死に至るほどの欲も絶望も生まれない。

己を救えるのは、己でしかない。
望まない。望もうとしている自分がいるだけだ。

友情も、恋慕も、血筋もいらない。
あるのはただ、己との接続のみ。
欲には巻きこまれやすいから、ブッダは人里を離れたのだ。
まるで世間は欲を楽しむことが当たり前になっていると言うかのように。

仲良くしたい欲求もない。
傷つけたい気持ちもない。
ひとり俗世からはなれる。

だれになんと言われようとも、言われずとも。
それが修行だ。

テッシュがあるから鼻をかもうとする。
ゴミ袋があるから物を捨てようとする。

認められたい気持ちもない。
物乞いのように愛に飢えることもない。
どうなるかはわからないが、受けいれる算段(つもり)である。

スマホを持った修行僧がいるかという話だが。
[世間ではこういわれているそうだ……]
世俗の状況を酷々とかたる。それにすぎない。(わたしが受けていると感じているものも、世俗ではネグレクトといわれているそうだね。)

過酷な旅には慣れている。
なあに、孤独(ゆうても比較しようがないが)のうちに安穏を見出すだけだ。

与えるという欲求を持つことも、もたらすこともない。
世辞もない。
奪われることもない。
自ら捨て去っているから。

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