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ニーズとつながりたい理由〜もしかしたら人生の課題?〜

ひさしぶりにNVCの共感パートナーと共感の時間を持った。
今回は自分のもやもやをはき出す。

何か心が大きく動いた時、特にネガティブな感情を察知した時は、できるだけ自分で感情ニーズを探るようにしている。
もちろん、今回のネタでも出来事が起こったその日にしていた。
その感情とニーズに納得していた。

ところが、二人で探っていくと、感情で思わぬ言葉が刺さる。
(今回は「軽蔑する」だった、かなり辛辣)
そして、ニーズも変わる。
(「尊敬」「尊重」と思っていたが、「信頼」という言葉がすとんと肚に落ちた)

「もういいわ」と、譲れない条件だけ主張して、あとはもう言いたくなくなった気持ちがわかった。
「ここには長くは居られない」と思うのも無理はない。
信頼のないところに居るほど自分は自分をだませない。

二人で探ることで、自分では入り込めなかった深い奥底のニーズに繋がり、最初に見た感情とニーズはそこから出てきているもう一つ表層のものだと知る。

この作業で、自分の中で「統合」というニーズが満たされたことに気付いた。
パートナーから、「本当のニーズに繋がったときにはすっきりするけど、まだそこまで繋がってないときは、もやもやが残って、また出てくるよね」と。
それだけ、本当のニーズが見つけて欲しがっているのだろう。

自分にとってNVCは、「自分と深くつながる、本当の自分を知る」ためのツールだと認識している。
もちろん、誰かと愛をもってつながるためのコミュニケーションツールという側面が大きいのも理解はしている。

しかし、一番つながりたい相手は自分自身。
どうしてだろうとパートナーと話しながら考えた。

それは、より根底にあるニーズとつながることで、自分が表出しているいろいろな感情やニーズ、行動を統合したいという欲求だろうと考えた。
統合することで、より自分を理解できる。
何故そう考えるのかまで、自分を完全に理解したいのだな。
自分に対する完全性を求めているともとれる。

Yoga, vedantaの教えでは、完全性は必ず生死があり変化のある物質や肉体からは得られない。
唯一変わらないのは本当の自分ātman、そして本当の自分はBrahmanであるということ。

これは本当にそう思う。
感情や知性、自我など目に見えないものも、常に変化する。
ついさっきまで気分良くしていたのに、突然トラブルが起きて急降下。
寝る前は「明日早起きして、あれしてこれして…」と決意するのに、いざ朝になるとベッドから出られない。
分かった気になった事柄も、時間が経つとまた迷う。

そんな不完全しかない自分の中で、完全や理想を追い求めるというあまりにも厳しい欲求。
しかし、そんなに厳しいものなのに、心から求めていて、そのためにいろんな行動をおこし、葛藤している。
自分で自分を御することの難しさを痛感する。

このニーズをどう扱うか。
Yoga practiceを深めていけば、いつかは…
しかし、今はまだそれがなかなか難しい。
今も苦心しているが、この間読んだ本にヒントがあった。
「受容を通して完璧を実現」
更に最近、読む本読む本、「寛容」「受容」「認める」が出てくる。
これは、自分の人生におけるテーマなのかもしれないな、と頭をよぎる。
なら、あ“〜ってなるのもしょうがないか。
などと突き詰めるのを一旦お休みする夜。


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