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不安のプログラムを持ちすぎると、生きづらさを感じやすくなる

少し前、私の体調を悪くするのは、体の不調なのではなくて、不安障害のようなものなのだと知った。


例えばどんな不安があるかといえば、出かける家族が無事に帰ってくるか不安、夜寝る家族が明日起きるか不安、など。

日常に潜みすぎている不安には、本当は気にしなくていいものもある。

だから、不安のプログラムを書きかえて、不安に思わなくていいようにしようとしているところ。でもこれが、結構むずかしい。


そんな時に、新たな不安を得てしまった。いまあるプログラムを手放すのも一苦労なのに、また新たに得てしまったものをどうしようかと思っている。

多すぎる不安は、生きづらさを生む。


今回得た不安:車に乗ること


いま私がどんな不安を得てしまったかといえば、車への不安。特に、高速道路や山道のような、リスクの高い道路を使うこと。

というのも、実は夏休みのイベントとして家族と遠出した結果、タイヤがパンクして危ない目に遭った。

パンクしたことに気づかないまま走り続けた結果、タイヤはもうバーストをしていたし、ギリギリにトンネルを抜けることができて、幸運にも路肩に止まることができた。

とはいっても、事故を防ぐために車外に出る必要があったり、業者に来てもらえるまでトイレを我慢しながらしばらく待ったり、私の不安プログラムを作るには、十分にインパクトのある体験だった。


新たな不安プログラム:高速道路は怖い


今回の体験によって作られた新しいプログラム、「高速道路は怖い」。リスクの高い道として、山道を走ることにも怖さを感じている。

みんな死にたくて運転しているわけではないとはいえ、意思に反して事故は起きることを、私は強いインパクトと共に体感してしまった。

だから、「もう怖かった場所に行きたくない」「家族にも使ってほしくない」と思うし、「行ってしまったら強い怖さが再現される」ことも体験した。


さて、私はこのプログラムとどう向き合おうか。

そう考えながら、この記事を書いている。


多すぎる不安は、生きづらさを生む


多少の不安は、私たちの生活には必要なものだ。不安がなければ刺激を得られないし、逆に不健康な状態になる。

でも、不安を持ちすぎると、それはやっぱり生きづらさになる。不安を生むプログラムは、少なくしておきたい。

このジレンマを感じつつ、私はやっぱりプログラムを多く持ちすぎていると思いながら、手放し方を考えている。

生きやすさを手にしたと思えば、新たな生きづらさを手に入れる。そんなことの繰り返しなんだな、人生は。

今日は自分を落ち着かせるためのものとしての昼寝を、多くとってみようと思う。



7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️