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言葉が違うことの力を借りて、私は自分の話をする

この数日、実はけっこう大変だった。セクハラのトラウマが呼び起こされて、日常生活に支障をきたして。だから学校にも行かずにいた。

話が少し複雑なので、友人には言わずにいた。友人は男性なので、気をつかわせてしまうと思ったから。

それに、文字のやりとりと外国語で、うまく説明する自信もなかった。

でもやっと、学校に行けた。自分の言葉で説明もできた。そうしたら、スーッと心が軽くなってきている。

まだ全てが元通りとはいかないけれど、いまの私はもう大丈夫そうだと思えている。


私が心に何かを抱えていることは、前からそれとなく伝えてきた。それくらいに、その友人たちを信頼しているから。

そうはいっても、やっぱり言葉の壁があるので、完全に説明ができていたわけではない。

私にとっての外国語で説明する自信がなかったり、変な伝わり方をしないかを気にしたり。そんな理由で、完全な説明はできていなかった。

でも、今回の落ち込みがあって、やっとちゃんと伝えた。

「私にはセクハラのトラウマがあって、たまに調子を崩すことがある。だから学校に来れなかった。」

とても自然に、ちゃんと伝えられたと思う。


どちらか一方でも母国語ではない言葉で話すとき、どうしてもそこに大なり小なりな壁は残るのだと思う。

だけど今回、言葉が違うことの力を借りて、私は自分の話をした。深刻な感じではなく、私のわかる言葉の範囲内で、相手にちゃんと伝えられた。

言葉の偉大さを、ドイツに来てからずっと感じている。お腹いっぱいに感じたと思ったけれど、やっぱりまだまだ体験する。言葉は本当にありがたい。


私には、どう転んでもトラウマがある。克服したいと思っていたけれど、それはもうやめることにする。これも私と思って生きていく。

そんな体験も、この数日のうちにした。だからこそ、深刻になりすぎずに伝えたかった。

これからも仲良くしていきたい、私のことを知っててほしい友人だから。

言葉が違うことの力を借りて、私は自分の話をする。これからもきっと、言葉が違うことの力を借りる。そんなことを考えた今日だった。

7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️