「搾取されたくない」が強すぎる
ここ最近、お商売と向き合う私のなかに、見過ごせないモヤモヤを見つけた。
しばらくの時間をかけて、たいていのテーマとは向き合ってきたと思っていたけれど、向き合えば向き合うほど新しいテーマを発見する。めんどくさいと思う私もいるけれど、自分の思いに気づけるのは嬉しく思ったりもする。
今回見つけたモヤモヤは、知らなかったけれど多分ずっと私のなかにあったもの。「搾取されたくない」という気持ち。
みなさんのなかには、こんな感情はある?ちょっと聞いてみたい。
前職時代と「搾取されたくない」気持ち
私の前職は広告。既存のクライアントもいれば、新規の開拓もする営業職で、関係性を作りに何度も通った未掲載のお店がたくさんある。
当時の私は20代前半、今よりもきっと幼くおぼこく見えたと思う。クライアントは9割以上男性、全員とは言わないけれどセクハラ発言を浴びることなんてよくあることで、私は心に大きな鎧を持って働いていた。
会社としても……かはわからないけれど、当時いた環境から感じ取っていたのは、「使えるものは全部使え!」のスタンス。もちろん、体を売るなんてことはしないし、そういう意味の営業はしないけれど、「女性らしさ」「女性としての可愛らしさ」のようなものは、武器とせざるを得ないと感じていた。
ハキハキとしていても可愛らしく振る舞う。「女性視点ならでは」な広告提案をする。みたいな。いまこうして書いていると、得体の知れない気持ち悪さのようなものを感じる。
今となってみては、本当にこんな振る舞いが求められていたのかは、正直わからない。当時の私が、勝手にこう読み取って振る舞っていたのかも知れない。いや、まあきっとそうなのだろうな。
でも、当時の私は、これ以上の生き残り策がわからなかった。頼りにしてもらえる営業マンでありたいけれど、若い自分の女の子らしさを活かす以外の方法を見つけられなかった。
そんな方法を取っていたらやっぱり、「これは搾取されている気がする」と思うことがよくあった。信頼関係を築いているというよりも、いいように使われているだけ、というか。
うまく言語化ができないけれど、当時の私は、その「搾取されているぽい」を察知しては疲弊していた。察知したところでどうしていいかわからなくて、それをうまく解消する手立ても思いつかず、悶々としていた。
「搾取されたくない」が邪魔をする
それで、最近気がついた。私はどうやら今も、「搾取されたくない」の気持ちが心のどこかにある。
……というのは、働き方が変わり、両思いのお客さんとだけお仕事をするようになったにも関わらず。「これって搾取されてしまわないのか」みたいな気持ちがどこかにあって、私の自由な活動を邪魔している。
これはどうしたものだろう、そもそもこの思いはどんな体験から生み出された信念なのだろうと考えてみた。それで思い当たったのが、先に書いた前職時代のことだった。
でも実は、まだこの説は腑に落ちてはいない。前職以前から、「搾取されるのでは」「搾取されたくない」の気持ちが、私のなかにあったような気がしている。いつのどんな出来事が発端なのか、わからないけれど。もっとず〜〜〜っとある気がする。
それで、「搾取されたくない」の感情は、私のなかに本来もうこれほど強くは存在しなくていいのだと思う。もっと溶けて薄くなっていいのだと。
だって、これがあると、私はバリアを作り続けるから。もっと軽やかで自由に選択をして、いろんなことに挑戦したいのに。挑戦を妨げる古い信念を、私は手放したいと思っている。
「搾取されたくない」が強すぎる
今日のある場でのこと。「搾取されたくない」が強すぎることに最近気がついたと、思いきって言葉に出してみた。それで気がついたのは、これに共感してくれるひとが存在するということだった。
この感情に出会うきっかけとなった別の場では、このモヤモヤを感じている人は、私以外に居なそうに見えた。みんな前向きですごいな、それに比べて私は何をモヤモヤしているのだろう……なんて、久しぶりに「私なんて」が発動した。それほど、私にとっては大きな衝撃があった体験だった。
「そもそも搾取かどうかなんてわからないのに、何かが起きもしない入口の時点で拒否しようとしてしまうなんて、私は何かおかしいんじゃないか」、なんて思った。でも今日の場では、私以外にも「搾取されたくない」の気持ちを持っている人に、突然出会えた。
それだけで私は少し安心した。この感情があるのは、私だけじゃなかったんだと。それで問題が解決するわけではないけれど、同じ感情を持つ人がいると知れただけでホッとした。
とはいえ、今ほどに「搾取されたくない」が強すぎるのは、私の行動を必要以上に妨げてしまうように思うから。少し緩めることができるのか、あるいは癒すことができるのか。「克服」ではない形で、向き合ってみようと思っている。
私は過去の何を「搾取されている」と感じ、「搾取されたくない」の信念を心に刻んだのだろうか。2025年に持っていくテーマを、新しく見つけたのだなぁと思っている。