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お金が増えたら私は何を体験したいか

たぶんもうしばらく、うっすらずーっと考えているこのテーマ。一度言葉にして出してみようと思ったので、ここに書いてみる。

自己紹介をしてみると、私はドイツに移住して2年目のライフコーチで、フリーランスでお仕事をしている。ドイツ移住は10年越しの夢、ドイツに憧れを持ってからは20年越しの移住だったから、私の人生でかなり大きな夢が叶ってしまって、若干余生のような時間を過ごしている感覚になっている。

もちろんこの人生でやりたいことはたくさんあるけれど、この規模の大きな夢というのは、そうそう簡単には見つからない。言い換えれば、お金を貯めて叶えたいことがない、ということなのだと思う。

……と書いてしまうとこの記事は終わってしまう。何かを定めることよりも、自分の心のうちを出すように書いてみようと思う。


お金のことを考える

少し前に、人からこんな言葉をもらった。

「aimiさんって、お金のことをお金として見過ぎなんじゃないですか?」

それってどういうこと?と、その時の私も思ったし、いまの私もこの言葉の真意をもっと聞きたい。のに、私は当時の記憶が薄くなってきていて、ちゃんと思い出せない。

けど、なんとなくこういうことだったと思う。

お金をお金として向き合わなくても、もっとかろやかにゲームのように、自分がどれだけ受けとれるかを楽しんでみたらいいんじゃないの?

私の記憶と意訳が含まれています


その後、ある人から贈っていただいて、こんな本を読んだ。

お金とはエネルギー。ここで私が解釈したのはこういうこと。

お金とはエネルギーであり、エネルギーが十分に渡せていたらお金が流れてくる。「営業活動をする→お金を得る→買ってよかったと思ってもらえるように頑張る」だと思っていたけれど、本来の動きは「エネルギーをあらかじめ渡している→その対価としてお金が流れてくる→またエネルギーが渡せるように頑張る」だった。

これもあくまで私の解釈です


この2つを受けとってから、私の心はずいぶん軽くなった。そんなふうに考えていいんだなと。

私のホロスコープでいえば、土星が2ハウスにいる。私はきっとお金と向き合うという設定で、この人生を楽しみにきている。「お金のことをお金として考えすぎ」と言われた時にはちょっとショックもあったけれど、まあ、このホロスコープなのだから、これが私の人生の楽しみ方だなと納得しているし、私とは違う視点からのアドバイスが興味深かった。


私のこれまでとお金

私の家は、決して裕福というほどではない。でも、田舎で、近くにおじいちゃんおばあちゃんがいる家に生まれて、たとえば野菜とかはある程度は畑でとれるし、それぞれに持ち家があって、お金というテーマでは大きな我慢はなく育ってこれたと思う。

私の人生において、誰よりお金を流してくれるのはおばあちゃん。次にお母さん。恥ずかしいように思えてこれまで外では言ってこなかったけれど、私は彼女たちからのお金のおかげで、自由に暮らせているところがある。

どういうことかといえば、たとえば幼い頃からみんなにもらったお金なんかは、母が管理して残して増やしていてくれた。祖母はお金を残すのが趣味のような人で、孫たちにある程度の大きなお金を残してくれている。(と書くとあれだけど、今も生きてる)

ドイツに来てフリーランスのビザを取ったとき、口座にある程度のお金がないといけなかったから、ついにそのうちの1つに手をつけることにして、私の口座に移してもらった。いまはそのお金と自分の収入によって生きてる。


それで、最近思うことがある。私は別に、もらったお金だって使っていいのに、お金に名前をつけて判断していたなと。

もらったお金、稼いだお金。稼いだお金で暮らすのはいいけれど、もらったお金は使わないほうがいい。ここに手をつけ始めると、この先何かあったときに困り果ててしまうし、収支が大きく合わない人間になったら破滅してしまう。

だけど、そんなことって、本当に起きるのだろうか?私が大きくお金を使いすぎて、破滅することってあるのだろうか?この先の困り果てる未来を、私は作るだろうか?

正直先の読めない、そして円が安くなり続けている昨今だから、お金は残しておいたほうがいいという考え方もあるのかもしれない。でも結局、未来を作るのは意識だと思う私もいる。私の意識や集合の意識。だとしたら、悪い方向に向かわないように、私の意識を使えばいいんじゃないかな。

それに、若いときは、貯金をするのではなくその分使えとも聞いた。もっと若いときの私もそれに同意だった。私は今年33歳、当時と比べたら若くないのは事実だけど、今だって使っていいんじゃないの?入ってくるお金にも使うお金にも名前をつけずに、流したい方向にお金を流せばいいんじゃないの?と思う私がいる。


お金をかけてやりたいこと

私がお金をかけてやりたいことってなんだろうと考えたとき、やっぱり過去の私にとっての「ドイツ移住」のような、10年20年越しの夢みたいな、そんな大きなものは浮かばない。

というより、もしかしたら、そんな大したものじゃないと、私が決めているのかもしれない。

いまの私はひそかに、高知とベルリンの2拠点生活を企んでいる。でも、日本からツテのないドイツに移住してきたことよりも、ドイツから母国である日本に拠点を持ち直すことのほうが、はるかにハードルが低いと思える。あれ、もしかして私には、刺激の量が問題だったのだろうか?


お金をかけてやりたいことは、ちまちまこまごまとはたくさんある。この夏にニースへ旅行したい。家のバルコニーにイスとテーブルがほしい。掃除機が弱すぎるから買い替えたい。気分にのっかって自由に外食をしたい。

けど、これはなんていうか、だからお金をがんばって稼ごう!の意欲につながらない……というよりも、この量の刺激じゃ目標として足りないんじゃない?と、私は思っているのかもしれない。そんなふうにジャッジする必要はないよね。どんなやりたいことも、私の大切な「やりたいこと」だよね。

お金が増えたら、私は何を体験したいか。たとえばベルリンに持ち家が欲しいなぁ。マンションじゃなくて、ちょっと郊外に一軒家で。いまよりももう少し便利なところがいい。広い庭があって、そこでお茶をしたりして、自然を感じて豊かに暮らしたい。

高知にも持ち家で拠点を持ちたいなぁ。実家のあたりだと一番いい。ドイツには夏に住んで、冬場は日本で穏やかに暮らしたい。それで、日本でしか食べられないおいしいものを食べたい。

いまの私が描くのは、こんなところだろうか。ここまで読んでくれた方は、お付き合いくださってありがとう。

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7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️