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ジェンダーのはなし

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男性とか女性とかではなく、ひとりの人間としてじぶんがありたい姿を選べる世の中になっていってほしい。個人的な思いを書きます。
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#ジェンダー

ジェンダーと仕事💐当事者として、アラサー女性のキャリア形成に向き合う

じぶんのキャリアを改めて考えるようになってから、いま一緒に働いているひとたちのキャリア形成に興味を持つようになった。 みんな、なぜいまここで働いているのか。将来は、どんな働き方がしたいのか。女性が9割の職場だけど、思い描いている未来はそれぞれ違う。だから、将来のことを聞いてみている。 なぜ将来の話を聞きたいのか 私が役職を持った当初、将来の夢を聞くことはいまの仕事へのやる気を上げる手段でしかなかった。 つまり、本人のためではなく、管理職側のものとして管理するために聞いてい

私が女性と男性という対立で怒るとき、これは私が好んでそういう見方をして怒り続けているだけなのか、それともやっぱり誰かの不快がくり返されないために怒るべきなのかと悩んだりする。結局すべてのことはエゴなのだと思うけれど、怒りを誰かに説明しては、また私は怒っているなと反省したりする。

この世に桃源郷はないけれど

ドイツで暮らして、先週で7か月が経った。そんなタイミングで、私は子宮頸がんの検査を受けた。 この国の保険制度には加入していないし、ビザは期限付きのワーホリビザのまま。この国にとって私はまだ「居住者」よりも「お客様」なのだと思う。 でも何の制限もなく、公的機関によって無料で検査を受けることができた。実は少し前には、性感染症の検査も受けた。(サムネはその時のもの) ドイツの、こういうところがすごく好き。人が健康に生きる権利が守られていると思う。私は私の信念によって、住む国を

女性も1人ずつの人間だと知っていますか

ここ数年のうちに政治への関心が増してから、どうも正直向き合うことが辛い。当事者として、真正面から受けとめるからなのだろうと思う。 ここであきらめていては何も変わらないので、行動を続けるしかない。そうはわかっていても、どうも辛いことがある。 今回の統一地方選とか、私自身がこの週末に体験したこととか。この世界での生きづらさを、またいっそう突きつけられる。 女性も1人ずつに意思があって、それに従って生きていることを知っていますか。女性は二番手以降にいるもの、庇護されるものと思

私と友人は男女だから仲がいいのか

私の思考から切り離せないことの1つに、自分の性別のことがある。 別に私は、自分のことを男性だと思うわけではない。女性として生まれて、女性らしい服装が好きな私は、自分を男性と思うには抵抗がある。 だけど、女性と見られることには少しの違和感がある。特に、「女だ」と見られていると感じる時に違和感がある。 「女だ」と見られていると感じる時、私はまたそう見られているのかとガッカリする。 それなのに、私には男性だから仲良くできる友人がいるように思う。この矛盾は、何度も私に問いを投

甘いシナモンロールとタピオカを食べながら話す、私たちの人生は甘くない

ベルリンに住み始めて1か月。やっぱり私はベルリンに来てよかったと、心から思いながら帰ってきた今日のこと。 正直にいえば、今日の私は気象病で体が重くて、出かけるのをやめようかと直前まで思っていた。 こんなコンディションで出かけても、付き合い程度にもお酒を飲めないし、ドイツ語でコミュニケーションを取り続けられるかも不安。 正直家から出たくないし、体のだるさのために1時間も昼寝した。 一方で、いいか悪いか、「一度した約束は守らねばならない」気持ちを手放せない私。 だから結

誰もが自分らしく生きる世の中を、許さないのは誰か

女性として30年ほど生きてきて、何度もくり返し思うことがあります。 「この社会(日本)で、女性って生きづらいな」ということです。 若い頃は、「それでも女性で得していることもあるしな……」などと思っていました。 でも、アラサーになったいまの私は、「女性で得をする」とか、「女性だから辛いな」とか、どちらも思いたくないなって。 女性も男性も生きやすい世の中であってほしいし、もちろんこの二項対立以外の属性でもなんでも、みんなが生きやすくあってほしいです。 みんなが自分らしく

体と時間は誰のものか

この週末、仲の良い友人たちとひさしぶりに飲む機会がありました。 今年30歳の私たちが集まれば、男女の差はなく気づけば結婚の話になります。 私はいまの人生で結婚するかどうかを決めていないし、自分の体を女性として使っていきたいのかもわからない。 でも、目の前の彼らは結婚はいつかするものだと思っていて、いまの恋人といつ結婚するのかを話している。 そんな彼らのことが純朴な存在に見えて、私は蚊帳の外から話を見守っているような感覚になりました。 結婚をする意味とは 前置きをし

親世代の固定観念に向き合う

実家にいて親と話す時間が増えたからか、親から出てくる固定観念に基づく発言とか、その伝え方は違うと思うこととか、違和感に出会うことが増えました。 離れて暮らしていても毎日一緒にヨガをするのがいまの日課だし、まったく会話をしていなかったわけではない。でも、限られた時間で話すことと、時間がたくさんある中で話せることは全く違うのだなと改めて思います。 そんな中で感じた違和感のうち最も大きいものは、結婚に関する違和感です。 結婚は、誰の人生にもある、ものではない 半年ほど前の帰

母が守る家

実家にいる時に強く思うこと。それは、母が家を守っているということです。 例えば、母が家にいない時間はなんとなくソワソワする。ごはんは母が帰ってきて用意してくれるのを待っているし、母のテリトリーのように感じるキッチンを使うのは少し気が引ける。 そんなふうに思ったことはありませんか。 一般的に大黒柱とみなされるのは父。だけど、家を支えていて、いないと物理的にも精神的にも困るのは母だと思っています。 母がいないと不安 学生の頃、事情があって一時的に母が家に居ない期間がありま

一番身近な家族こそ、色眼鏡で見ないこと

最近の世の中は、フェミサイドや優生思想など、偏った見かたによる悲しい話が顕在化していると感じます。 偏見とは決して一部の特殊なひとだけが持っているものではなく、私や友人も含めて、誰のなかにもあるということが私の持論です。 偏見が顕在化することは必ずしも悪いものではない。なぜなら偏見とは昔からあったのに、それが問題だと捉えられずにきているものだから。でも、差別や偏見が顕在化しているいまだからこそ、みんなで気をつけたいことがいくつかある。 ふとこのようなことを思いました。

「早く働け」と他人から言われること

少し前ですが、同僚が後輩の奥さんに「結婚して引っ越しても、早く仕事を見つけて働かないとダメだよ」と言っているのを見ました。 みなさんは、こんな状況に遭遇したらどう思いますか? どんな行動を取りますか? 私はフェミニストであると自覚しています。しっかり学んだわけではなくフェミニズムな文章を読んできた程度ですが、共感することがとても多いし義憤もたくさん感じるので、フェミニストなのだろうと自認しています。 そんな私ですが、この状況に遭遇したとき、何も言えませんでした。それどこ

「女の子は親の世話をするべき」という呪縛を解いてくれたのは、親世代である居酒屋の大将だった

「将来親が歳をとったら、女性である私が世話をしなくてはいけない」「そのために、学校を卒業したら地元で就職をしないといけない」 そんなふうに考える女性は、令和のいまでも少なからずいると思います。 かくいう私も、20歳頃まではそう思っていました。 生み育ててくれた親なので、兄弟の誰かが近くで見ていないといけない。お父さんは、知らないひとではなく身内である私に世話をしてほしいと言っている。兄弟で女の子はひとりなので、私が世話をしないといけないんだ。 そうやって、じぶんに呪縛

女性は髪が長くあるべきだと呪いをかけていたのはじぶんだった

営業職をしていた頃、周りは男性ばかりで、女性営業は私しかいない時期があった。 クライアントも男性が多く、女性が重宝されることに気づいていた私は、組織の”女性性”をじぶんが担わないといけないと張り切っていた。 結果、別に誰からも要望されていないのに、髪はロングで毎日スカートを履くこと、やわらかい化粧で女性らしさを出すことをじぶんに義務づけていた。 ”女性らしくあること”の押し付け その後、私のチームに若い女の子が入社してきた。当時の私には、彼女は”未成熟”なように見えた。