見出し画像

私と友人は男女だから仲がいいのか

私の思考から切り離せないことの1つに、自分の性別のことがある。

別に私は、自分のことを男性だと思うわけではない。女性として生まれて、女性らしい服装が好きな私は、自分を男性と思うには抵抗がある。

だけど、女性と見られることには少しの違和感がある。特に、「女だ」と見られていると感じる時に違和感がある。

「女だ」と見られていると感じる時、私はまたそう見られているのかとガッカリする。

それなのに、私には男性だから仲良くできる友人がいるように思う。この矛盾は、何度も私に問いを投げる。


男女だから仲のいい友人がいた


日本にいた時から、「男女という性別の違いがあるから仲がいいのだ」と感じる友人がいた。というか、大部分がそうだった。

私は女性と仲良くできなかった。どこまで踏み込んでいいのかわからなかったし、いつ裏切られるかわからなくて。

そういうわけで、仲良くできない原因は私の弱さにあった。信頼しあえる友人と出会えてからは改善したけれど、昔の私は女性を遠ざけていた。


「男女だから」仲のいい友人という関係性を、ここ数年は忘れていた。なぜかといえば、コロナ禍のうちに人間関係がガラッと変わったから。

男性の友人がガクッと減って、女性の友人は何倍にも増えた。

なんだ、女性どうしの友人付き合いってこんなにも快適だったのかと、想像とはちがう穏やかさに衝撃を受ける体験をした。


異性で仲のいい友人ができた


昨年の12月からベルリンに住み始め、男性と日常的に関わる機会ができた。

私はいま語学学校に通っている。ドイツ語の語学学校は、大学準備の目的で来る学生が多いからか、割合的には男性が多い。


そのなかで、「オッパ」や「ヌナ」と呼ぶ友人ができた。私は韓国語ができるので、こう呼び合う韓国の友人ができた。

これがどういうことかと言えば、「オッパ」とは女性が親しい年上の男性を呼ぶ時の言葉、「ヌナ」とは男性が親しい年上の女性を呼ぶ時の言葉。

親しくないうちは、こうは呼ばないのだそうだ。(男性→年上の男性、女性→年上の女性での呼び方の場合もそうらしい)


友人と「親しい」と思いあえることを、私はとても嬉しく思う。その一方で、これは「男女だから」仲がいいのかと受けとるともやもやする。

この言葉たちが、性別の違いがあることを見せる。私たちは、異性だから仲がいいのだろうか。

(明記しておきたいのが、韓国でのこう呼び合う文化を否定するものでは決してなく、この言葉に触れているいまの感情のことを深めたい文章です。)


男女だから仲のいい友人ができた、のか


私が「オッパ」と呼ぶとき、なんだか他の友人よりも、少し甘えさせてもらっていいような気がしてしまう。ここにもやもやの原因があるのだと思う。

でもじゃあ、これが「オンニ(女性→年上女性の呼び方)」だったとして、私はどんなふうに振る舞いが変わるのだろうと考えてみる。

いま改めて想像をしてみたら、案外関係性は変わらないのかもしれないと思った。自分でも意外だったけれど。

「オンニ」と呼べるほどに親しい関係性になれていたら、私はやっぱりその友人に甘えさせてもらうかもしれないと思ったのだ。

呼び方と関係性って、こうも捉えられるのだと体験をしておもしろい。


こちらに来て、オフラインで日常的に男性とも話すようになった。オンラインではない友人関係が、日々にたくさん溢れるようになった。

数年ぶりのことに、私はとまどっているのかもしれない。「男女という違いが作る関係性なのだろうか」と、敏感になりすぎているのかもしれない。

いまのところは、まだハッキリした答えが出ない。

だけど1つ分かったのは、この友人が女性だったとしても、きっと私は同じように接しただろうということ。なんだ、そうだったんだと思う私がいる。


私と友人は、男女だから仲がいいのか。考えてみて気づいたのは、友人が女性だったとしても同じように接しているだろうということ。

だけどじゃあ、最初から女性どうしで出会っていたとして、同じくらいに仲良くなっていたかと言われたら、それはなんともわからない。

「性別」や「男女」ということに、私はやっぱり影響を得ている。それがどんな範囲であるものなのか、まだまだ自分でも知らないことがある。

7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️