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帰国日記(22.5.28-22.11.30)

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韓国の留学生活を終えた、30歳の私の話。地元や家族の話が多くなる予定です。
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#家族の物語

2022年 私の人生ハイライト 〜退職,韓国留学,帰国,開業,ドイツワーホリ〜

先日、2022年の振り返りをしました。今年の私のキーワードはこれです。 会社員だった頃の私がこれを見たら、3年くらい時間があったのかな? と思いそうなものたちが並んでいます。なかなか1年でやるものではないなと…… 月別に書けば、こんな12か月でした。ちゃんと1年のうちにやったことなんだなあと、自分でもしみじみ感じます。 実はこの振り返りシートは、noteを見てまとめました。私は日記代わりに毎日noteを書いているので、noteを見るのが一番手っ取り早いのです。 という

帰国期間をしめくくる夕食

渡独前の送別会として、今日は家族で夕食を食べた。 弟がおおかたの食材の準備をしてくれて、それぞれに買い出しに行ったりして、私が仕事をしているうちに準備が終わっていた。 私は仕事を終えてお風呂に入って、出たらもう食べれるようになっていた。だからありがたく、そのまま席についた。 今日は特別な夕食なので、弟家族も来た。 大人が7人と、犬が1匹。これが、うちの家族全員。こうして全員で集まれるのは、次はいつになるのだろう。 父と母方の祖母は、同居をするうちにすっかり仲良しにな

うまく話せない家族で10日間毎日ハグをしてみた

10日ほど前に、こんな記事を書きました。「体に触れるのは大事だ」という記事です。 うちの家には問題があって、それを解消する方法として「触れてみる」を始めました。 前回の記事に「大事だ」と書いたけれど、この時はまだ開始1日だったので、10日経ってのことをここに書いてみようと思います。 やってみてのことはこれから書きますが、どうしてもみなさんにもやってみてほしいから、結論はここに書きます。 変化は、期待よりもずっと大きいです。 もしご家族などの関係性でコミュニケーション

私たちは、大人になった

今日は一瞬だけどひさしぶりに家族が揃った。 私たち兄弟と、両親と、祖母。 ドイツへの出国がいよいよ近づいている。この帰国期間のひそかなテーマは、家族との関係性だった。 その関係性は、確かにここに育っていると思う。 私たち兄弟は、大人になった。 子どもの頃は、親とぶつかることが多かった。むしろ最近まで、わけもわからないままにぶつかっていた。 いまがまったくそのけがないわけではない。だけれど、確実に、話ができるようになった。 私たち兄弟は、大人になった。 そう思え

せっかくフェリーに乗るのなら、海と振動を感じたい

出国前の家族旅行中です。 海に囲まれた県だけど、人口が少ないからか、フェリーにあまりなじみのない我が地元。今回は珍しく、フェリーを使って旅行しています。 フェリーに揺られる2時間、何をしようと思っていたけど、もうあと30分くらいで着くようです。 そんな時間に、このnoteを書いています。 父につられて展望デッキへ 家族といると、すっかり長女モードになる私は、こういう場所ではしゃぐことができません。 友だちとの旅行ならまた違うのかもしれないけど、家族といたらすんっと

体に触れるのは大事だ

コーチとして、心に触れることをお仕事にしています。 1年前にコーチとして活動を始めて、自分と向き合ったり、クライアントさんと向き合ったり、心を見ることの経験を積みました。 そんな私が、最近思っていることがあります。体に触れるというコミュニケーションは大事だなあということです。 この話は私にとってはものすごく大事なことなので、少しぼかしながら書くと思います。 それならなんで書くの?ということなのですが、体に触れることの大事さを知り、誰かと共有したいと思ったので、ぼかしな

家族を取り戻している

今日は、私のnoteにたびたび出てくる、うちの家族の話です。 と言いつつ、これは私たちの家族の中の話で、とっても大事なことなので、何があったのかを詳しく書くものではありません。お気持ちを残す記事です。 それで、とにかく今日は、のどが痛くなるほどに話しました。 あらためて思うのが、家族でのこういう話は予期せずに始まるから、終わったら全身がぐったりと疲れます。 でも、私たちの家族があと20〜30年はあると思ったら、いまの1時間や2時間は、私にとって妥協をしたくないことです

この家は、住みやすかった

母とのわだかまりが取れて、1か月が経った。明らかに、以前よりも笑顔で話せる時間が増えた。 私に気を遣っていたらしい母は、私にちょっかいを出してくるようになった。家族に弱みを見せたくなかった私は、そのちょっかいを笑顔で受け取るようになった。 この家は、私が思っているよりもずっと、住みやすい場所だった。 ▼わだかまりが取れた時の話 家にいたくない気持ち たいていの子どもと同じように、私は高校生まで実家に住んだ。大学はなんとか県外に出してもらい、そのまま県外で就職をしたか

笑顔は私の誇りだった

対人支援を仕事にするようになり、笑顔を褒めてもらうことが増えた。 「笑顔が印象的」「笑顔で聞いてくれて安心した」「笑顔に癒された」、などなど。 いつからか、私は笑顔でそこにいることを大事にしている。もとをたどれば、これは祖母の教育だった。 内からのものというよりは、教育の賜物というもの。だけど私いまのにとって、「笑顔でそこにいる」ことはすごく大事なことだ。 (余談だけど、サムネは幼い頃の私) 「いつも笑っていなさい」という教え 幼い頃、共働きの両親の代わりに、祖父

スシローは、私にとって泣く場所らしい

うちの家族の行きつけのお店、スシロー。何か良いことがあったら、スシローに行く。特になくても、スシローに行く。 そんなスシローは、私にとっては泣く場所らしい。家族に弱みを見せられない私が、なぜか涙を見せてしまう。私と家族にとって大事な場所なようだ。 セクハラで精神を病んだこと 2年半前の私は、クライアントから急に受けたセクハラ(という言い方は本当は嫌で、私は性暴力と言いたい)に、精神を病んでいた。 その事実はもちろんショックだったし、世の中のおじさんたちを全員受け付けな

お盆が終わり、終戦日も過ぎたいま、「日常」に戻っていく。

今年もお盆が終わった。何をしたわけでもないけど、お盆期間とは一種の祭り期間だと、日本の田舎で生まれ育った私にはインプットされている。 今年のお盆は、会社員の父が休みをとって家にいたり、家族で日帰り旅行に出かけたり。そうだ、みんなで焼肉&ピザパーティーもした。 今日は盆の明けだね、みんな(またあちらの世に)帰っていくねと、今朝は母が話していた。 お墓参りに行けないくてごめんねと、胸の内でおじいちゃんたちに手を合わせながら、盆の明けを感じる朝だった。 お盆が終わった、終戦

家族で少し贅沢なランチを

今日は予定があって、街中に行ってきた。 だからついでに家族で出かけて、トンカツを食べてきた。 ちょっと高くてドキッとしたけど、前職時代のお客さんがやっている、ずっと気になっていたお店のトンカツ。 家族でドライブに出る 家族みんなでドライブに出ることが好きだ。 と言いつつ、別にみんなでなくてもドライブは好きなのだけど、家族で出かけるのはやっぱり嬉しい。祖母と母と弟と。 弟の運転で20〜30分ほどかけて、街中に。ほんとうは別のお店に行く予定だったけど、もう既に並んでい

難しいことは置いておいて、私はしばらく母といたい

急に昨日の夜から考えていること。予定よりも長く、実家にいてしまおうかということ。 この帰省には終わりがある。それは私と家族の共通認識で、だからきっといまがうまくやれているのだと思う。 だけどいまの私は、なんとなく急いで家を出たいと思えない。 まだもう少し、母の近くにいたい。祖母の近くにも。あ、父の近くにも、とも、言っておくか。 という冗談はさておき、もう少し長くここにいてしまおうかと本気で思っている。私の人生なのだから、私が決めていいことだ。 早くまた出ようと思って

「私は確かにここにいる」と思う

うちの家族のLINEグループには、月ごとのアルバムがある。 基本的には母しか更新をしないけど、たまに弟や私も写真を入れる。 このアルバムにある写真は、祖母や弟の写真がほとんどだった。 でも、帰国をしたから、今は私の写真もここにある。 5月と6月のアルバム 5月の末に帰国をして、実家で暮らし始めて2週間。驚くほどにあっという間だった。 帰国をしてから、母と過ごす時間が格段に増えた。前に実家にいた時はお互いに仕事があったし、なんだか折り合いがつかなくて距離があった。