マガジンのカバー画像

韓国で暮らす(21.11.1〜22.5.26)

85
コロナをきっかけに、会社員をしながら日本に居続けることに限界を感じました。自分らしく生きるために仕事と住む場所を変えたら、ライフコーチをしながら韓国に住むことになりました。日々を…
運営しているクリエイター

#アラサー

プレフリーランスになって韓国に移住しました

昨日ソウルに到着しました。 コロナ禍の留学準備も入国も、やっぱり簡単なものではありませんでした。 それでも私は好きな場所で暮らしたくて、まずは半年と決めて韓国に来ました。 いまはまだ隔離の日々です。でも、この先はいままでとはまったく違う、刺激的な日々が待っているはず。 そんな予感があるので、新しいマガジンを始めます。 ◆半年前、人生を変える決断した頃の私はこんな状態でした☺︎ 私について(属性、仕事、退職、夢など) 私のことを知ってくださっている方もそうでない方

韓国留学の完了

ついにさっき、私は日本に帰ってきた。 ほんとうは成田で一泊して、明日のLCCで実家まで帰る予定だった。でも予想以上に疲れたから、今日のうちに家まで帰り着きたくて予定を変更した。 だからいまは、乗り継ぎの飛行機を待ちながら、羽田空港の展望デッキでこのnoteを書いてる。 日本に着いた 帰国の数日前まで1週間の旅行に行ってみたり、帰ってきてから大急ぎで出国の準備をしたり、先週・今週はとんでもなく体力を使った期間だった。 書類が足りずに入国できないことはぜったいに避けたく

韓国の家を出たから、早く家族に会いたい

昨日・今日と急いで準備をして、7か月住んだ家を退去してきた。 最後まで学校の友人たちに会って、たったの3〜6か月の仲なのに色紙までもらってしまって、なんて幸せな期間だったのだろうと思いながら。 留学の終わりにこんな未来が待っているとは、まったく想像をしなかった。 居場所を手放すこと ゆっくりと心の準備をしてきたからか、いまの私には「ここにもう少しいたい」という気持ちはない。 だけどやっぱり、明日からの生活に韓国語があふれないことは心から寂しい。泊まっているホテルで、

相棒とのお別れ

今回の韓国滞在では最初で最後であるチェジュ旅行が終わり、ついに日本への帰国準備が佳境になってきた。 PCRを受けに行ったり、荷物を送ったり、その他もろもろを始める。そんな時に、いままで8年くらいの相棒だったキャリーケースが壊れた。 それも、あとほんの少しで帰国という時に。ドイツやロシア、NYに台湾、そして今回の韓国までいろんな場所を共に旅した相棒。 三度の引っ越しも、共にしてくれた相棒。 なんとなく、直感があったこと 今朝チェジュから戻る準備をしていて、「この相棒は

旅をしながら働いてみる

今日はお仕事dayであり、チェジュ旅行の6日目。 ワーケーションというものをしたことがなかったけど、ものは試しと今回やってみている。 一概な良い・悪いの評価は難しいと思いつつ、仕事を持ちながらも旅行ができることには感動がある。 どんな感動かといえば、「どこにいても働ける」を、私は頑張って叶えたよなあということ。 仕事環境を整えることへの責任感 私にとって「仕事」とは、人生のなかですごく比重の高いこと。 その中でも「働く環境を整える」ことはすごく大事で、仕事において

身軽になった私は、ワクワクしている

今日で語学学校が終わった。 教科書が終わってなかったから、最終日だけどギリギリまで超特急で授業をした今日。 1つ前の級では、最終日はお互いに手紙を書くなどして名残りを惜しんだけど、今回の級では名残りなんて惜しむ時間はなかった。 実はクラスの集合写真も1枚もないままに解散をした。でもそれも、今回のクラスらしくておもしろいなとクスッと笑ったりして。 今日で半年間の、語学学校生活を終えた。 今学期を振り返ってみる 先生も最後に言っていたのだけど、今学期はほんとうにいろん

ひたすらに動画を見ている最近

少し前に「自宅入院」という概念を知った。 入院するように暮らすこと。体を休めることを目的にして、夜は早く寝るなど規則正しく過ごすこと。 ここ最近は少し体調を崩していたから、さっそくこの方法を試した。 それにしても、帰国して状況が変わってから体調を崩すならまだしも、帰国前に体調を崩してしまうのはなんとも私らしい。 働き方や暮らし方を変えても、体の強さは簡単には変わらないようだ。 丁寧に暮らす 「丁寧に暮らす」ということは、ほんの1〜2年前の私には理解のできないことだ

この数日で、韓国語がもっと「言葉」に聞こえるようになった

自分でもうまく言えないのだけど、この数日で韓国が私にとってより一層「言葉」として入ってくるようになった。 きっかけは何だったかといえば、少し前にsuper juniorを知ってハマったからだと思う。 今までは私にとっての韓国語=BTSの韓国語だった。 世代が違って違う話し方をする(ように私には聞こえる)슈주の言葉を聞き取りたくて動画を見ていたら、またひとつ韓国語のステージが変わったような気がする。 言葉の奥深さ 「韓国語のレベルが上がった」的な話は、正直ここで何度も

なんだか罪悪感を感じていた

帰国を前に、いまの私はこちらの友人たちと全力で遊ぶことにしている。 勉強や仕事には支障の出ない範囲で、何よりも仕事に臨むコンディションは一番に考えながら、できる範囲で最大限に時間を作って遊んでいる。 社会人を8年もやってきた。ある程度の自分のペースはわかる。 ……はずなのに、少し前の自分と比べたら羽目を外したような遊び方をしている自分に、気づけばどこか罪悪感があった。いや、いまもある。 持っていたくないに、まだ私の中にあるこの罪悪感を、言葉にしてみようと思う。 罪悪

遊んだら休む

今日もなんでもない日記を書いていく。 最近の私はちょっと前のめりに走っている感じがあって、楽しいことを楽しいから楽しみつくすという感じがあった。 寝る時間を惜しんで友達に会うし、学校とお仕事は変わらずあるし、昨日は私にとって特別な登壇があったりとか、ちょっとこれは走り続けるには体が前のめりになりすぎているなーという感じがあった。 それで、本当は今日も遊びに行こうと思っていた。というか、この記事を書く前にも友達から誘いがあって、遊びに行くかを迷ったくらい。(21:00を回

母は話を聞いてほしいし、私は母の声を聞きたい

韓国に半年住んで、私は今のところホームシックがまったくない。 日本にいる友人たちには会いたいと思う。でも、日本のごはんが食べたいとか、湯船につかりたいとか、いわゆる日本人に現れがちなものがまったく出てこない。 これは過去にドイツに留学したときにもそうだった。でも、当時はたった2か月だったし、もう少し長くいたらホームシックになるものかと思っていた。 だけど半年経ったいま、まだホームシックはまったくない。私は半年程度なら、ホームシックがなく過ごせるらしい。 私の日本との関

「この滞在期間では最後」を始める

なんとなく1か月半くらいはあるような気がしていたけど、気づけば韓国の滞在は長くて残り1か月というところまで来た。 去年の11月1日から始めたこのマガジンも、あと少しで区切りを迎える。 明日はこの滞在中では最後の「美容室にいく」をする。「この滞在期間では最後」を始めていく。 先延ばしにしていた最後 正直なところ、韓国にはもう少し居たい。 その気持ちがどれだけあるかと言えば、もう締め切りの都合で間に合わないとわかりつつ、延長できないかと学校の日程や金額を検討し直したくら

私のコンフォートゾーンは韓国にあって、移すのにはパワーがかかる

韓国に住んで、もう少しで半年。最長でも7か月の予定で韓国に来ていて、秋頃にはドイツに移る予定。 そんなことは最初からわかっていて、いまも準備をしている。でも、私にとって快適な場所(=コンフォートゾーン)になった韓国を抜け出すことに想像以上にエネルギーが必要で、ちょっと辛さを感じている。 私はきっと移るけど、いまちょっと弱音もある。そんな気持ちを、置いておこうと思う。 韓国で出会った人たちが好き 韓国でのことを話すとしたら、一番大事なのはこれだと思う。ここで出会った人た

「若い私たちのいい時間を奪った」コロナのことを、いまどう思っているか

土曜日の朝。いつもならヨガをして、仕事を始めようかという時間。 数日前から体調を崩してしまったので、この週末は仕事をパスさせていただいて、回復に努めて過ごしている。関わってくださっているみなさんに感謝をしながら。 結果、もともと見れる予定のなかったBTSソウルコンのディレイを観れることになったから、朝から待ち構えて彼らを観ていた。 それでふと思ったのがタイトルのこと。 当時は憎む気持ちがあったよなあ。でも、いまはいまに満足してるんだよな。そんなことを言葉にしておきたい