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恩人

今日も暑かったですね。
私は今朝から一日中頭痛がしたので省エネモードでしたが、朝散歩をしたり、掃除をしたり、数時間程ゲーム制作のお勉強をしたりしました。今朝はうつっぽかったのですが、noteの皆さんのおかげでなんとかメンタルを持ち直すことができました。ありがとうございます。

以前私はこんな記事を書いたことがあると思います。

その記事をなんと、しょっちんパパ@うつ克服から社会復帰活動中さんが本日取り上げてくださったのです!
今日はそのことについてお話したいと思います。

まだ読まれていない方は一度是非読んでみてください。

まずこれを読んで私が最初に思ったのは、私がこういう思考に至るのは、うつも原因になっているからなんだと客観視することができました。

そして自己中心的な考えに気づき、自分に嫌気をさして、どんどん病んでいくものだと思います。

これはすごく自分に当てはまる言葉でした。

また、

ご自身が持っている『子供の心』に蓋をしながら『大人の心』を教育してきたから、本質的には他人への気遣いを優先したいのかなぁと。(中略)だからご自身が持っている『自由な子供の心』が「もっとこうして欲しい!」と叫びだすと、とてもストレスになったり罪悪感にさいなまれたりするのかと。

これには意表をつかれました。
というのも、私は自己中心的なことから、ずっと自分は子供っぽいと考えていたからです。ですが、幼い頃から両親に甘えることはできませんでした。甘えられる状況ではなかったのです。

小学校低学年くらいの頃から母も父も余裕がなくなり喧嘩ばかりしていました。自分のことで、明日のことで必死でした。父はいつの間にか家に帰ってこなくなり、母はいつもギスギスしていて、私が弱音を吐くと、子供のネガティブな姿を見るのが嫌なのか、理想通りの完璧な子供ではないからなのか、怒り、時には手を上げることもありました。

私はいつしか、母に心を開くことを、甘えることを諦めました。
強くなくちゃいけない、私はなんでも自分でやらなくちゃいけない、私には、私しかいない。
自分の孤独とは裏腹にそう思い込むようにしていました。母に怒られると、自室の勉強机の下で体育座りをしながらいつも静かに泣いていました。こうして、ある日8歳くらいの時に、私は、“もう1人の私を作ったのです。”

その子はいつも私の側にいて、私を励ましてくれました。私を支えてくれました。
大丈夫だよ、私がついているよと言ってくれました。
私はその子のおかげで、どんなに母に怒られても、どんなに父が帰ってこなくても、アメリカでどんなに大変な思いをしても乗り越えられることができました。

しかし高校生くらいの時に、その子は急にふっと私の前から消えてしまいました。
さようならも言わず、前兆もなく、まるで泡がパッと弾けるかのように。

私はそこから親の愛情や孤独を埋めるように男性に求めるようになりました。今思えば、恋愛依存していたのです。

そんな恋愛関係は当然続くはずがありませんでした。それは、私が結局相手を心の底から愛し、信頼していなかったからです。私の人間不信はもうずっと前から根付いてしまっていたのです。

相手を信用できないと、自分の心を委ねて甘えることができません。例え甘えることができても、上手に甘えられません。相手に裏切られて自分が傷つくのではないかという恐怖と、私は相手に負担をかけるから、私がいない方が相手は幸せだという思い込みに走ってしまうのです。

そして、私はそんな自分がずっと嫌いでした。
常に私がしっかりしなきゃ、自立しなきゃ…そう思っていました。
そうなれば何かが変わる。そう思っていたのに…。

うつ病になって夫と出逢い、夫は私の固定概念を覆すことができた、人生で唯一の人でした。
付き合いたての頃、私が1人で悩みを抱えていた時に、夫は私にこう言いました。

「これからは1人単位ではなくて、2人単位で物事を考えてみない?」

私はその言葉に衝撃を受けました。2人単位で考えていいの?本当に?私は誰かと一緒にいていいの?私は1人でがむしゃらに走り続けなくていいの?

夫の存在に救われたものの、今でも上手に甘えることがなかなか難しくてできません。

でも、しょっちんパパさんの記事を読んで、変わりたいと思えたのです。
それは、今回の記事を読んで気づきがあったからです。

私は今まで大人になろうなろうとしていて、自分の子供心に蓋をしていたということ。
そして、改めて夫に幸せになってほしいということ。

夫は私が頼ったり甘えたり、笑顔でいると心から嬉しそうにしてくれます。
それを思い出させてくれました。

私はそれを守りたいです。夫が私の笑顔を守りたいように、私も夫の笑顔を守りたい。
夫は私のたった1人の家族です。

上手に甘えることは…まだまだ訓練が必要かもしれません。
ですが、少しずつ、無理のないように心を委ねていきたいと思います。

なんだか惚気話のように聞こえたら申し訳ありませんが、私の本心をできるだけお伝えしたかったので、この通り綴らせていただきました。

しょっちんパパさん、本当にありがとうございます。
うつは治りますって言ってくれて、こうやって真剣に考えてくださって。
コメントでアドバイスしてくださった読者さんにも感謝の気持ちでいっぱいです。
持つべきものは友、ですね。
私はこうやってnoteを通してたくさんの方と繋がることができて幸せです。

3行ポジティブ日記:
・今回散々皆さんにお伝えしましたが、しょっちんパパさんが私の記事を取り上げてくださいました!本当に嬉しかったです!
・今朝はうつっぽかったのですが、改めてたくさんの方が私の記事をスキしてくれたことに喜びを感じ、立ち直ることができました。読者さんがいてくれるから、私はこうやって楽しく記事を書かせていただくことができます。本当に感謝です。
・夫のことを考えて今回記事を書きました。とても愛おしい気持ちになりました。夫婦なので当然すれ違いもありますが、私はいつも夫に救われ、治療に専念することができます。当たり前の存在でありながら、当たり前ではない存在。ふと顔を上げると、それはそこら中に転がっているのです。そんな存在たち一つ一つを大事にしていきたいです。

振り返ると、書き足らないほど色んなことがありました。嫌な恋愛もたくさんしてきました。
でも、それでも、すべての出逢いに意味がなかったなど思いません。
世の中にはプラスの恩人とマイナスの恩人がいます。今私がこうやってプラスの恩人である夫と出逢えたのも、私を困難に立ち向かわせたマイナスの恩人がいたからです。

過去に縛られず、素直になる時かもしれませんね。自分に、人に、優しくなる時なのかもしれません。
もう、殻を破る時なのですね。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
おやすみなさい。

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