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NOTEの中で愛してくれますか?

度が過ぎている、何でも。


濃いつながりでないと不安でしょうがなくなる。毎日会っていたいし、話したい。頭の中を1つのことでいっぱいにして、「恋しているんだ」と全身全霊で思いを伝えることが愛だと思っていた。一緒にいるときには一時も離れず、毎日の電話は長時間に及んだ。わたしのためをどこまでも追及し、蔑ろにされたらどこまでも非難した。「わたしのこと嫌いになったの」「昨日の態度はわたしのこと好きだったらしないこと」など相手を試して必要とされている確認を続けた。そんなわたしの前を去る人は何人もいた。普通の人からしたら、重い女という扱いなのだろう。どうでもよかった、わたしは恋している実感があればだれでもよかったから。一言で言うと恋愛に関しては我がままで猟奇的な愛を欲していた。


そうはいってもモテるわけではなかった、可愛くもきれいでもないわたしはかわいい仕草や言葉を研究した、そう計算。天然のような振る舞いを好む男性はたくさんいて今日もわたしは○○系を演じて誰かとの疑似恋愛を楽しむ。「かわいいね」と言われるたびに高揚感と幸福感を感じ、おぼれていく。その空間がわたしにとって幸せになれる瞬間、偽りの愛とは分かっていたけどどんどんのめりこんでしまう。

あの感覚をもっと味わいたい――そうしてわたしは様々な人と身体を重ねた。必要とされている今は特別な存在。わたしが居なければいけないと高いところから見て優越感に浸った。わたしはちょっとやそっとでは抜け出せないところに足を踏み入れていた。


最近の言葉ではメンヘラというそう。かっこいい言葉になっている。していることはかっこ悪いし、非常識なことだ。あやふやな関係がなお一層わたしの中にあるオンナゴコロをくすぐる。危険な人との縁がなかったために何年もやめることが出来ず嘘で塗り固めた行為にのめりこんでいた。それほどわたしはさみしかった。どんなに「好き」と言われても、どんなに唇を重ねても決して埋まることのない空虚感。わたしの心が満たされることはなかった。わたしはしってた、続けていても本物にはなれないって。


わたしは度が過ぎている。こんな自分を愛してくれる人がいるだろうか。満たされない思いをどこにぶつければいいのか今もわからずにいる。相方にぶつけたらきっとわたしから離れていくのだろう。それを分かっているから重い気持ちを半分ぐらい捨てて接している。大事な人には全部は見せられない。できないとさらにヒートアップしてしまう。


本当はもっと確かめたい、もっと求められたい。空虚感をどうにか埋めようと必死であがいている。NOTEで投稿する事もそういうことだと思う。
わたしを必要とするあなたを探している。今度は嘘のない自分で向き合いたい。


今日もどこかの誰かとつながることで、心のスキマを塗りつぶしている。


こんなわたしをどうか愛してください。

最後まで記事を読んでくれてありがとうございました!