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届かない波紋(前編)

後ろ姿でわかる、その人の歩き方。速足で追いつき肩を叩きながら

「先生、おはよ」って声をかける。

「おう、おはよぉう山下。」

独特のイントネーション、いつもの話し方。声を聞くだけで胸が高鳴る。愛理は高校2年生、有野先生とは1年の時から部活と生徒会執行部で一緒になることが多かった。27歳で公務員試験に挑戦しながら体育の非常勤講師として愛理が通う高校で働いていた。人懐っこくて変な発音で話す先生は私たちにはいじりがいのある先生だった。


放課後にはよくグラウンドを走っていた。それを2階の踊り場で見るのが愛理は好きだった。有野先生は走るのも独特。授業中に窓から外を眺めてもすぐに分かった。「また生徒とじゃれ合ってるよ」と思わず笑みがこぼれる。愛理は遠くで見ているだけでも十分楽しめた。

そんな学校生活を過ごしていた時、同じ非常勤講師の横井先生が公務員試験に受かり違う学校に転勤することになった。横井先生は有野先生と同じく体育が専門教科で有野先生が兄貴の様に慕っていた人。体育館で部活をしている愛理に有野先生は「横井先生がいなくなると寂しくなるなぁ」体育館の隅でうなだれて座りながら言ってきた。いつも冗談ばっかり言っているのに今日は真面目に落ち込んでいて、それほど大事な存在だったんだなと思うと

「大丈夫だよ、先生には愛理がいるんだから」
と、背中をパーンと叩いて励ましていた。

叩かれた衝撃で最初はびっくりしていたけどすぐに、
「そうだな、頼むぞ山下」少年のような笑顔で愛理にも肩を叩き返してきた。

(あれっ?先生ってこんな表情もするんだ。しっかりした大人だと思ってだけど愛理とそう変わらないのかも)
その時、愛理の心の中は波紋が広がるように今まで抱いたことのない思いが湧き上がった。


先生にこんな思いになるのはいけない事だ。


愛理はそう思いながらも、気づけば目で追っている自分がいた。先生に声をかけられるだけで心臓はうるさくなり、他の女子生徒と仲良く話しているのを見るたびに胸が苦しくなった。


放課後、体育館から校舎に戻る道のりでグラウンドを見ると有野先生は1人で走り込みをしていた。学生の頃は長距離選手だった先生は、どんなに走っても乱れることのないフォームで


「綺麗」


愛理は独り言を言いながら真剣な表情で走る姿をただ見ていた。

初めて先生をかっこいいと思った。


日に日に強くなる思い、自分でもどうしていいのか分からなかった。切なくて、苦しくて…。


片思いってこんなに辛かったっけ?
1人では抱えきれなくなり、愛理は由香利に相談した。由香利は1年の時から仲良くしていたんだけど、ひょんなことから生物の長野先生に密かに片思いしていることを知った。先生に恋するもの同士、時々相談しあっていた仲だった。

「苦しいよね。私もあんまり人を好きになったことなかったからどうしていいか分からないもん。でも、もうすぐ居なくなっちゃうし思いを伝えようと思ってるよ」
意外だった。"好きになっちゃいけない人"の先生に"告白"だなんて愛理は考えもしていなかったから。

長野先生は高校2年の2学期が終わる1週間後に転勤する事になっていた。


最終日、愛理と由香利は長野先生を誘いドライブに連れてもらった。後部座席の隣で震えている由香利の手を握って、
「頑張れ、頑張れ」って心の中で何度もエールを送った。


2人でもじもじしながら、帰り際、由香里が意を決して口を開いた

「長野先生の事好きです。付き合ってもらえませんか?」


勇気を振り絞った言葉に、握った手は強くなり自分のことではない愛理が泣いていた。

暫しの沈黙の後、長野先生が口を開く。

「そんな風に思ってくれてありがとう。嬉しいけど、付き合うことはできないよごめんね」

当たり前の返答だった。やっぱり先生と生徒の関係は簡単には乗り越えられない。由香利の事自分に重ねて考えていた。隣の由香利はもっと落ち込んでいるに違いない、愛理はそっと由香利に目を移した。しかしそこには、スッキリと晴れやかな表情をしている彼女がいた。

長野先生と別れて帰り道

「愛理、私告白出来て良かった。結果は分かってたんだ、だけど自分の思いを知ってもらいたかったの。」大人びた顔で話す由香利が数時間で綺麗になったように感じた。

「すごいな由香利は…。愛理はまだ言えそうにないな、今は見ているだけで十分だよ」

「愛理がそばにいてくれたから勇気が出たよ。ありがとね。いつか愛理が思いを伝える時には私が側に居てあげたいな。」


「その時はよろしくね、由香利。愛理の背中を押してね!」

「任して!!」



来るはずもない約束が、数ヶ月後現実になるなんて…愛理はこの時これっぽっちも思ってなかった。


(続く)



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