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今日というヒ

今日という日はもう来ない
そんなことは分かってた
二年前の日記を見てみた
一日寝ていたらしい
最後に、「今日という一日は帰ってこない」

何が変わったか
怠惰な日々は、相変わらずのマーブルカラー
赤と青と黄色とオレンジと紫と知らない色と色なのか分からない色と
今日を見に来た人はなんていうのか
投げ銭何てくれないだろう
人生の観客は自分
一番見捨てちゃいけない人

二人から生まれてきて
結局いろんな人と別れて
一人で死ぬのが

人間

今日は
何かの意味があったか
明日の自分が
昨日の自分が
来年の自分が
辱めと思はないか
分からない、分かりたくもない

きっと知らない方がいい
未来や過去に行きたいなんて言う人がいるけど
行けないからいいんだよ

そんなことは知っている

結局、ぐらついた思考のまま
今日も寝るのだろう

今日は何のためにあったのか

残念ながら、何のためでもない

                 

ちょっと思ったこと
まず、最初の写真が枠に合わせようとしたのに、なぜか反応が悪くて思ったよりも大きくなってしまったけれども、いいということにした。偶然性に任せてみるのもいいかなっと。
最近は、詩作にしてみている。
速くかけて、それがいい。
楽という訳ではない。短時間の気持ちを切り取れる。長い文章になってしまうと、どうしても書いている途中での変化が見られてしまう。
詩は、自分が書くのは大体短いから一瞬で書ける。それがいいのか悪いのかは分からない。

確実なのは、反応があることが嬉しいこと。
読まれるって、やっぱり嬉しいって思い起こしてくれた。

きっと、自分はちっぽけな人間で、小説みたいに自分が死んだ次の朝は雨がしとしと降ったりもせず、かっと晴れ切るのだろう。

数年したら、自分の存在は捨象されるし、居なくなったことにきづかれないかもしれない。

でもいいって思えるようになるには、きっとまだ時間がかかる。

ゆっくりマイペースで、「いきたい」

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