見出し画像

はじめに

先日、ふと知人がこう言った。
「なぜ何でもできる人は何でもできるのだろう」


私の答えの軸は以下の3つだ。

I. 「できる or できない」ではなく「やる or やらない」
II. 脳は一つだから
III. 学問や技術に境目などない


一つずつお話していきたい。

I. 「できる or できない」ではなく「やる or やらない」

これは、自分に制限を作らないということだ。
まだやり始めていないんだから、何も分からないのである。

あれこれ考えず、やってしまえばいいのだ。
ヒトはできると思えば、意外とできてしまうのである。

やってみれば何でも思っていたよりは簡単だし、時間もそんなに必要ない。
ただやり始めるまでダラダラしていただけで、できないということはないのである。


また、何かをした時にその行動をした自分に対して、あるいはその結果や産物に対して評価をする必要はない。
できたか、できなかったか、その基準は変動するもので絶対的ではないので固執する意味はない。

仮に評価をしてくる人が居たとしても、それはその人の個人的な価値観や感想でしかないので、行動をした本人はそれを気にする必要はないのである。

誰かに対してついつい教えたがり、評価したがり、批判したがりというのは人間の可愛らしい一面だ。

自分が設定した目標を達成できたかどうか振り返ることは成長につながる大切なことだが、
できたかできなかったかという、プラスだったのかマイナスだったのか後から意味付けをする必要はないということである。

物事に絶対的な意味はない。
今の自分が感じているその「意味」は、時や場所が変わればまた違う「意味」を持つのだから、できたのかどうか、その判断は可能な限り先延ばししてしまおう。

行動するだけでよいのだ。


II. 脳は一つだから

唐突な告白になるが、私は現時点においてだが、人間を含めたこの世界には設計図があるのではないかと考えている。

設計図があるということは、その設計をした知的活動のできる存在を肯定する。
設計するということは、目的はあるかわからないが、意図はあると思う。
設計を始めてから終えるまでの、一貫した指標のようなものだ。

ということは、私が生まれた目的はないかもしれないが、私という存在を説明する理論はあると思うのだ。


これは私がApple StoreでMacBookを注文する時と少し似ているかもしれない。

これがしたいという明確な目的がなくても、とりあえずMacBookを買うことができる。

そしてどういうMacBookにするかある程度自由にカスタマイズが可能である。
その時にメモリが32GBもあるのに、HDDを128GBだけにしたりはしないのである。
バランスがとれるように、高性能なメモリに合わせて、大容量のHDDかSSDを選ぶのである。

ついでに、Garage Bandでは物足りなくなった時のために、Logic Proを追加しておくかもしれない。

何かにおいて才能を持つ人が、他分野(のように見える)場所でも才能を発揮していても『自然』なことなのだ。


III. 学問や技術に境目はない

学問に境目などない。
私はこれを強く信じている。

現在の人間は、学問を分け、名前をつけ、専門をもち、そこにこもりがちであるが、実際は何もかもこの同じ地球や宇宙で起こっていることであり、私にはどうしても、そこに境目があるようには思えないのだ。

だから複数のことに長けているように見える人間がいても、それは天才だとかそういったことではく、おそらく彼らとしては一つのことを熱心に考えているだけなのだろう。

現代において学問や技術はたいへん細かく分けられてはいるが、それは必ずしも人間が考える時の脳の働きの違いを完璧に反映しているわけではないと思うのだ。

外国語を話す時、楽器を演奏する時、数学の研究をする時、物理の思考実験をする時。
行動は違うものに見えるが、脳の使っている部分や働き方、動員させる情報や思考回路を完全に分けているわけではないのだ。

何をする時も使う脳は一つなのだから、その脳の持ち主が上手い脳の使い方をマスターすれば、それは色んなことができるようになるであろう。


私が今答えるとしたら以上のようになる。


※この記事は2020/09/07に公開した記事に一部修正を加えたものです。

出版書籍のご案内

喜舎場愛月 on Amazon

サポート方法

シェア・コメント欄でのご声援は大きな励みになります。
noteのサポート機能にて金銭的支援が可能です。
更新情報の受け取りはnoteのフォロー機能か、RSS購読をご利用ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?