『修羅の国』- AIとヤンキーの近未来社会:未知なる挑戦が始まる
キャッチコピー:AI統治による種の多様性を目的とした絶滅危惧種ヤンキー保護から始まる『修羅の国』
作品コンセプト:攻殻機動隊の哲学的要素が理解できなかった読者向けに、AI無知倫理学の世界的権威がヤンキー漫画でAI哲学・倫理問題をガチで描く。
あらすじ
国会議員の汚職撲滅を目的とした『AI国会議員法』が可決した近未来の日本では、人間議員、AI議員、内閣、による新たな法案提出が可能となっていた。
内閣提出法案の製作もAIが担当していたため実質的にはAIによる立法権支配体制となっていたが、全ての思考をAI任せにしていた日本人の大半には、この意味が理解できていなかった。
AI提出法案の第一号となった法案は『反社・ヤンキー保護法』だった。この法律は犯罪者や犯罪予備軍の減少により失業問題を抱えていた警察官やフロント企業従業員の雇用対策として、更には景気刺激策として期待された。勿論、景気刺激策を期待する報道記事の原稿を書いていたのもAIであった。
第1話:反社文化保護特区
AIによる監視社会が実現した近未来の日本では、あらゆる犯罪行為を事前に防止できる平和な社会が実現できていた。犯罪や交通事故は完全に撲滅され、かつて広域指定暴力団員や、その予備軍の半グレや、ヤンキーの特技であった賭博、恐喝、恐喝、暴力、窃盗、密輸、詐欺、総会屋などの『伝統的犯罪技術』は完全に廃れかけていた。
そのため、これらの伝統的犯罪技術を持つ絶滅危惧種の反社的人間は、陶芸家や刀匠や宮大工などと同じく、文部科学大臣が指定した重要無形文化財保持者として人間国宝扱いされていた。
反社同士の縄張り争いや抗争などは無形重要文化財に指定され、反社特別自治区の文化行事として京都の東映太秦映画村や栃木県の日光江戸村のようなテーマパークで『暴力団組事務所殴込みアトラクション』や、『半グレ vs. ヤンキーの集団抗争ショー』や、『異種格闘タイマン・マッチ』などが地域活性化の観光ビジネスとして、一時的に人気を集めていた。
ところが、人間の政治家や官僚が自らの私腹を肥やすことを目的として考案した、非効率な第三セクター方式で運営されていた反社特別自治区の監視社会では反社団体は、まともなシノギができず、財政破綻する反社保護施設が増えて、反社人口が再び減少をはじめ人間の多様性の消失に伴う社会問題となっていた。
そもそも長期間服役していた広域指定暴力団員の高齢化に伴い、もともと現役反社として活躍できる人材など元から少なく、後継ぎもいない状況であったため、反社会的後継者を育成してこなかった第三セクター施設の管理の怠慢問題も大きく影響していた。
そこで、AI官僚とAI政治家の主導により、効率的な反社地域補助金や、反社助成金制度が矢継ぎ早に作られた。そのため、過疎化している地域は、反社文化保護特区の候補として、昔からヤンキー文化で有名だった茨城、千葉、福岡、大阪、沖縄の各地が名乗りを上げて、熾烈な反社文化保護助成金争いが勃発した。
更には広域指定暴力団の多かった大阪、兵庫、広島、福岡でも反社文化保護特区争いとなっていた。江戸時代からの歴史を持つ京都の任侠団体も歴史的観点から『我らこそが任侠の源流である』と伝統性を主張し、反社文化保護特区誘致競争は熾烈を極めていた。
このような複雑に絡み合ったしがらみを人間同士が解決するためには、かつての人間中心社会では原発誘致問題と同じく、何十年もの歳月と多額の政治献金が裏で動いていた。
ところが、裏金や権力に一切関心のないAIを金品で買収したり、しがらみで操作することは理論的に不可能である。そもそもこういったAIの公正な性質が、政治腐敗を一掃して公正な社会が実現できたのである。
反社文化保護特区誘致問題もAIにとっては、簡単に解決することができた。AIは反社文化の歴史や、反社人口の遷移や、反社的人物の地域社会の許容指数や、反社適正人格者の遺伝子データ解析情報などをスコアリングすることで、日本国内で最重要な反社文化保護対象都市として、2020年まで『修羅の国』と呼ばれていた福岡県の北九州市を『重要反社文化保護特区』に選出した。
AIの判断により、反社文化保護特区指定を受けた北九州市は、一夜にして全国の注目を集めることとなり、北九州市民も東京オリンピック誘致に成功した東京都民のように大歓迎していた。
北九州市の菓子工場は『小倉反社饅頭』、『ヤンキータケノコ煎餅』、『戸畑半グレ餅』などの特産品の商品開発を行い業績を向上させた。ゲームメーカーや、ゲームセンターも『石を投げたらヤクザに当たる』、『筑豊手榴弾』、『ロケットランチャー隠し』ゲームなどを、続々と開発して反社ゲーム関連銘柄の株価は高騰した。
とろこが、一部の北九州市民たちは困惑した表情を浮かべていた。特に『反社・ヤンキー保護法』に10兆円の国家予算が注ぎ込まれるというニュースには、驚きと不安が交錯していた。
常識のある北九州市民の中には、『ヤンキー文化復活させるんに10兆も使うん?』や、『あのAI議員やAI官僚って、バグっちょんやない?』と口を滑らす住民も少なくなかった。しかし、こういった軽率なAI批判をする市民たちは、日本中に張り巡らされた『思想犯取り締まり装置』、『防犯予防装置』、『感情認識装置』などによって会話を盗聴され、反乱分子や犯罪予備軍として、片っ端からAI警官に逮捕されて、三井田川炭鉱跡地の強制労働所や思想矯正施設に収容され、北九州市には反社文化保護特区誘致に異議を唱える人物は一人もいなくなった。
そこで北九州市の人間市長は『ヤンキー文化復興委員会』を設立することを決断した。委員長候補には大学教授や、元北九州市長や、解散した元広域指定暴力団組長や、生物多様性を重視しているNGOの代表者や、人権保護団体代表の人権派弁護士や、元検事や、元不良高校の校長などの有識者や、フェイク評論家などの名前があがった。
ところが、何れの候補もAIが設定した反社実績スコアーを満たすことができず、人材評価専門AIによって、かつて北九州市の不良少年たちをまとめ上げ、全国的な存在感を誇った『九州連合修多羅夜叉』の初代総長の修多羅権蔵の息子の修多羅修斗が、ヤンキー文化復興委員長の第一候補者に選ばれた。
修多羅修斗の父の権蔵は、かつて『修羅の国』を恐怖に陥れた大総長として、全国の暴走族やチーマーや暴力団や半グレにも一目置かれる存在だったが、修斗が生まれる年に権蔵の恋人だったレディース『小倉紫蝶会』総長の鳴海麗奈と、まだ生まれぬ修斗の将来を案じ、『九州連合修多羅夜叉』と『小倉紫蝶会』の総長を同時に引退して、権蔵はいまは小倉の飲み屋街の場末で一人静かに、博多とんこつラーメン屋を営んでいた。
九州連合修多羅夜叉の大総長として、日本中の反社の間で名前の知れ渡っていた権蔵には、かつての凄みはなく、心の底には大きなトラウマを抱え、いまだに結婚できずに一人で暮らしていた。
権蔵のトラウマの原因は、修多羅権蔵と鳴海麗奈のダブル総長引退式の日に、当時勢力拡大を狙っていた田川爆走連合鬼門会・特攻隊長の黒崎獅子丸の特攻により、麗奈が事故死してしまったことだった。
二人が引退を決意したとき、麗奈は妊娠四か月であり、その時の胎児が修多羅修斗である。麗奈の胎内の修斗は、壮絶なバイク事故にもかかわらず、奇跡的に脳が完全な状態で、一命をとりとめていた。しかし、当時の技術では五か月未満の胎児の生命を維持することには、多大なリスクがあったため、世界で初めて全身義体化手術を受けることになった。
その後、修斗は筑波の義体総合研究所で育てられ、16歳まで両親の顔を知らずに、反社として生き抜くために必要な、あらゆる戦闘術や、ハッキング技術や、法の抜け道の教育を受け、世界一の反社エリートになっていた。
修多羅修斗が北九州反社文化保護特区に就任した当日の北九州市には、一人の反社もいなかったため、AIから修斗に与えられた最初のミッションは、ヤンキー文化復興委員長として、ヤンキー部隊を組織することだった。
かつて修羅の国と呼ばれていた北九州市の反社・ヤンキー文化は既に消失しており、全ての子供がAIから教育を受けていた。少子化により全ての学校の競争率は、0.1倍を割り込み、日本に残っていたのは、東京大学一校のみであった。しかし、東京大学の競争率も1倍を大きく下回っていて、お名前さえ書ければ、誰でも東京大学に入学できる時代となっていた。生体認証だけでも誰でも東京大学には合格できていたので、自分のお名前が書けるかどうかさえ、既に大した問題ではなかった。
官僚の99%以上はAIにより不要な人材と判断されていた最も人気のない職業で、国家公務員(国家総合職)の受験者数は、ほぼゼロになっていた。官僚になるのは、よほど無能な人物だという新常識がこの時代には定着していた。国家公務員(国家総合職)を募集していたのは、新設された『真理省』のみで、真理省の日常業務は歴史記録の改竄作業のみであった。
こんな時代に社会落伍者の反社会人やヤンキーを探すことは困難を極めたが、修斗は全日本人の遺伝子情報にアクセスし、日本中から100人の反社会的素質を持つ青少年を集めて、青少年たちにヤンキー文化の教育を行うことから取り掛かった。
反社やヤンキーにとって重要なのは、喧嘩の強さでも賢さでもなく、見た目の奇抜さなので、まずは青少年にパンチパーマや、リーゼント、スカジャンや、特攻服などのヤンキーファッションや、バイクの違法改造、更には抗争相手を殺害しない程度の喧嘩の作法といった、ヤンキー文化の基本から教育していった。
このような修斗の地道な活動により、北九州市のヤンキーカルチャーは少しずつ息を吹き返していった。
だが、AI議員の中にもヤンキー文化を保護することに懸念を抱く者がいた。それはAI国会議員の中でも最も古いモデルである『SHIMANE-1』だった。昔から治安の良かった島根県選出AI議員の『SHIMANE-1』は、反社・ヤンキー文化に対する理解がなく、反社やヤンキーを保護をすることの是非を問うていた。その意見は他のAI国会議員の間でも一定の支持を得ていた。
『AIが理解できない文化を保護することは果たして正しいのか?』
それはまさにAIの存在意義そのものを問う問題だった。AIは絶滅危惧種の反社やヤンキーを保護すべきなのか、それとも新たな社会を作り出すべきなのか。この問いに対する答えを見つけるために、AI議員たちは再び議論を始めるのだった。
つづく…