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『カエルと月と謎の本』/短編小説

 男は生き物を愛する生物学者だった。

 小さなラボで月の満ち欠けとカエルの鳴き声との関係を研究していた。
これまでの研究でわかったことには、満月に近づくほど、カエルの声はぴょこぴょこと高くなり、新月に近づくとゲロゲロと低くなる。男はそんな毎日に満足していた。

 ある日、男はふと向かった古本屋で一冊のきれいな本を見つけた。
古本屋には似つかわしくないほど真っ白で、つるりとした手触りの本だった。変わったことに表紙には、タイトルもなにもなかったが、その手触りがなんということもなく懐かしく思えて、気に入った男はそれを買うことにした。

 その日の夜、夕食を済ませ早速開いたその本は、期待外れのものだった。内容がありきたりだとかつまらないとか、そんなことではない。
読めないのだ。そこにはなにやら、四角形のようなきれいな色の記号が並んでいた。見たこともない文字だった。
男は「なんだこれは」と憤慨するも、次第に持ち前の探究心がむくむくと沸き上がるのを感じていた。

 それからというもの、あれほど好きだったカエルの研究はどこへやら、ラボも研究生もほうりだして、男は本の解読に没頭した。

 来る日も来る日も机に向かい、わかったことには、この文字は過去どの時代の言語とも、どの国の言語とも関連性がみられないということだった。さらに四角い記号の羅列のなかには、ある一定の規則性があるようで、だれかがいたずらに書いたものとも思えない。
一体この文字は、どこのものだろう? この不思議な本には何が書いてある? その謎が、男をますます熱中させた。


 男がすべてを理解したのは、それから78年後のことだった。


 138才となった男はその答えを知る。
じわじわと、そして唐突に、その本が意味するものを理解したとき、男は絶望に押し潰され、崩れ落ちた。
この78年の間に、人類の技術は過去に例をみない速さで格段に進歩した。男が本の解読を進める過程で創設した新しい研究機関と、徐々に進むその解読から判明した、新たな物理法則や科学技術の賜物であった。

 すべてのページを解読し終わってからしばらくして、人類は新たな兵器を産み出した。それは、全ての存在そのものを消し去ってしまう力だった。世界中に有るものすべて、カエルも月も、全てを無に返す。依然未解明だった法則やいくつかの事象を無視し、あらゆる技術を兵器としての利用に無理やり特化させた末の、キメラのような産物だった。

 今の人類に、とても扱いきれるものではなかった。科学者たちはこの兵器に関する資料を破棄し、念入りに解体して処分することとしたが、一度出来てしまった兵器の情報のすべてを消し去ることは不可能だった。

 世界中で争いが続いたのち、まもなく兵器のスイッチは押された。この世界最期の日となる前日、男はこの兵器が産み出されない世界を願い、70年以上にわたって研究してきた有益な研究成果を書き留めた一冊の白く美しい書物を過去へ送った。


 ――すべてを悟った男はフラフラと立ち上がり、科学者たちが制止する間もなく兵器に駆け寄ると、そのスイッチに再び手をかけた。


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