見出し画像

わたしと忌野清志郎

※これは2015年9月7日にシミルボンに書いた記事です

わたし、この人知ってる!

小さいころ、路地の一番奥に住んでいたわたしは、家の前のアスファルトにチョークで絵を描くのが楽しみでした。

わたしはだいたい片目をつむった(多分ウインク)うさぎの絵を描いていました。お母さんはいつもチョーク全色を使って、なにやら派手なおじさんの絵を描きます。

チカチカした洋服とカラフルな髪の毛、目の上や頬まで色が塗られたそのおじさんの絵は幼心に強烈で、今でもはっきりと思い出すことができます。

高校生のとき、何度かフジロックへ行きました。

その中の1回、チケットが余ってしまったわたしは音楽が好きなお母さんと一緒に苗場へ向かいました。

その時のフジロックにはお母さんがどうしても見たい人が出ているらしく、人でごったがえしているメインステージへ。二人で行けるところまで前に進みます。モッシュの中、親子ふたり、ぐちゃぐちゃになって笑いながら。

ステージでは誰かが「君が代」を歌って「こけのーむーすーまーでーー」と歌いながら、自分の頭に整髪料のムースをぶちまけていました。

ぎゅうぎゅうのモッシュの中、ムースが舞うステージを見上げると、小さいころに何度も見たあの絵のおじさんが立ってます。

「わたし、この人知ってる!」

お母さんがよく描いていたおじさんは「忌野清志郎」というこの人だったのです。

ほんとうにあの絵のまま派手な人だなぁ〜と思いながら苗場の晴天の空にムースの白い泡がフワフワと飛ぶのを見ました。とても楽しくて美しい光景でした。

大人になり、わたしは神聖かまってちゃんというバンドの大ファンになりました。

かまってちゃんのボーカル「の子」のニコ生やライブの配信映像を毎日見て、ツアーがあれば遠征をし、行けない日はライブ生中継を見て追いかける毎日。

「の子」は時々、丸いサングラスに白いヘルメットチェックの割烹着を着ていました。

そういえば初めて行ったかまってちゃんのライブは入り口でヘルメットが配られて「客席は全員ヘルメット着用」という異様な光景だったことを思い出します。

いつも通りかまってちゃんの映像を見るためYoutubeをめぐっていたら「の子」にそっくりな格好をした男性が歌っている映像を見つけました。

それは「タイマーズ」というバンドで、タイマーズのボーカルは、忌野清志郎でした。

ハロー、派手じゃないおじさん

その日のことは忘れられません。

忌野清志郎が亡くなった日のこと。

ネットニュースもSNSのタイムラインも彼のことでいっぱいです。お母さんからは、「どうしよう」とメールが届きました。

その後、いろいろな雑誌で追悼特集が組まれ表紙に取り上げられました。だけどそれらはモノクロで、わたしの知っているあの「派手なおじさん」とはちょっと違う人に見えます。

お母さんはその雑誌たちを部屋に飾りました。

モノクロの写真はなんだかとても悲しくて、わたしこの人知ってる!って思った日の嬉しさとの対比に、耐えられない気持ちがして目をそらしました。

「ハロー、派手じゃないおじさん」

わざと笑って声をかけてみます。

誰もやさしくなんかない / だからせめて / 汚ないまねはやめようじゃないか

その日、お母さんが録画していたらしい「SONGS 忌野清志郎特集」を一緒に見ました。全方向にお客さんがいるステージで、彼は「JUMP」を歌っていました。

その歌はわたしはとってもよく知っているし、実際歌うことすらできました。お母さんがカラオケでいつも歌っていたからです。

このとき初めて、この曲はこのおじさんが歌っていたのか、と知りました。

この派手なおじさんは、本当にもういなくなってしまったのだろうか。お客さんたちは、みんなすごく楽しそうに手拍子をしているし、歌詞に「JUMP」が出てくるたびに一緒に飛び跳ねています。

真ん中で歌うこの派手なおじさんは、ほんとに もういなくなってしまったのだろうか?

ハロー派手なおじさん…また会ったね!

大人になったわたしは、脱原発や差別反対のデモに参加するようになりました。専門学校のころはわかりやすく右傾化ぎみだったわたしがこうなったきっかけは忘れましたが、自分も他人も生きやすい世界がいいと当然に思ったからです。

路上では、たくさんの方と出会い、たくさんの話しをしました。

そこで、まさかの「あの派手なおじさん」のエピソードに再会することになるとは思いもしませんでした。

「わたしのデモ最中のテーマソングはモーニング娘。の「歩いてる」っていう曲なんですよ〜」

なんとなく、そんな話しをしていたら、わたしが様々なことを教わっていた方のテーマソングはなんと忌野清志郎の「JUMP」だというのです。

あの曲です。
お母さんがいつも歌っていたあの曲。
そして、テレビの中でお客さんが満面の笑みで飛び跳ねていたあの曲。

そして徐々にさまざまなデモに行くようになったわたしは、脱原発をうったえる路上でたびたび「忌野清志郎」の声と再会をしました。

丸サングラスとヘルメット、かまってちゃんの「の子」と同じ格好(本当は「の子」のほうが後だけれど)をした清志郎が歌っていた歌は「メルトダウン」。スピーカーの前にはあの派手なおじさんの写真が掲げられています。

追悼雑誌の表紙で見たモノクロになった知らないおじさんではなくて、カラー写真で。

それは、わたしのよく知っている「派手なおじさん」でした。

少し時間をさかのぼり中学生のときのこと、深夜ラジオで流れたとある曲がとても好きで1枚のCDを買いました。深夜といっても中学生が感じる深夜なので、たぶんそんなに深い時間ではなかったと思います。

何度も何度も聴いたその曲「鎮魂歌」を歌っているのは三宅伸治さんという歌手でした。

『おセンチになってばかりいられない』

なんと、その深夜ラジオで聴いて、何も知らずに買った三宅伸治は忌野清志郎の付き人であり、のちに共作をしたりライブに一緒に出たりしていたそうです。…というのは、本当に最近知ったこと。中学生から10年以上の時間を飛び越えて、現実がキラキラとしました。

そして、人生でたびたび出会ってきた「JUMP」は、作詞作曲が忌野清志郎と三宅伸治の連名でした。

初めて知ったときには、「ここでもか!」って、少し笑ってしまいました。

きっとこれからも人生のいろんな場面で会うのだろうなと予感します。そのたびに、わたしは笑って話しかけたいのです。

「ハロー派手なおじさん、また会ったね!」