【連載小説】「緑にゆれる」Vol.43 第六章
気になるという寺は、その先だった。さらに、奥へ奥へと歩いて行った。細い道は、やがてゆるやかな上り坂になり、向こうに寺の門構えが見える。この寺には、鎌倉時代唯一の庭園がある、という。もみじが美しいと聞くが、今は緑。細やかな青葉のもみじが、空を埋めている。少し涼しく感じる。カケルは、奥へと続くそぼぬれた石畳を上った。
すぐわきに生い茂る草やシダが、濡れて光っている。青竹も大きなもみじの枝も、届け届けと天へ向かっている。緑の匂いが濃く、全身が緑に包まれてしまう。
ホーホケキョ!
突然、大きな鳥の声がして、その余韻が辺りに響く。自然の領域へやって来たのだ。光に透けている青もみじがとにかく美しい。自分の目の解像度が一気に上がってしまったようだ。いつの間にか、下界の喧騒ははるか遠のき、別世界へ来てしまった。寺の境内には、雑草のような、しかし素朴で荒々しい草木が花をつけて、自由に風に揺れている。人工的な音も香りも、一切しなかった。
しかし、別世界だったのは、さらにその先だった。
寺の奥の庭園に足を踏み入れたとき、カケルは小さく息をのんだ。巨大な岩盤がまず目に飛び込んできた。そこをくりぬいて洞が作られ、前面には池がはってある。その池にたたえられた水面に、鏡のように対称に岩が映りこんでいる。岩盤の上や周囲は、こんもりと茂る緑の山。樹木はどれも自由に大木となり、縦横無尽にその腕を伸ばしている。それに付き従うように、個々、生い茂る草花たち。岩盤のてっぺんに一輪、白い山百合が咲き、アクセントを添えていた。
視界に入りきらないほどの景観に、圧倒された。
光り輝く中空を、音もなく無数の蝶が舞っていた。
ケキョケキョケキョケキョケキョ――!
鳥の鳴き声が、岩に反響して、いっそう大きく聞こえる。透き通ったその声の残響が耳に残る。
楽園だ。
しばらくの沈黙のあと、そう思った。
楽園、という言葉は、外国や南国のそれを連想させるのだけど、まさにそこは和の楽園だった。そしてそれは、およそ普段、日本人である自分たちが、目にしないものだった。ひっそりと、でも何百年も変わらない姿で、ここにあったのだ。
圧倒的な自然の空間の中で、言葉も、時間の感覚も失った。ただ五感だけが、冴え渡っていく。
空白の時ののち、カケルは、ふと我に返ったように、その光景をビデオカメラにとらえた。なぞるように、カメラを移動させても、その小さなレンズにほとんどが収まりきらない。その微力さに、苦笑した。
一度背を向けたが、去りがたく、また振り返った。
何百年も昔から、そして、これから先、何百年も、この楽園は続いていくのだろう。外の世界で、どんな変動が起こっても。
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