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二人と一匹が家族になって思うこと。

二人と一匹の暮らしも、5年目を迎えようとしている先月の終わりに、私たちは結婚した。

私たちは、このまま結婚しないのだろうと思っていた。
一緒に暮らしていても、結婚の話はまったくしなかったし、何となくその話をすることを避けていた。
あの頃はまだ、お互いを信頼できていなかったし、お互いを思いやる気持ちが足りなかった。いつか終わるのかもしれないこの生活に、どこか冷めたふりをしながら、その時が来ても動じないように繕って暮らしていた気がする。

二人とも正反対の性格で、共通の趣味もない。
すれ違いが続いた時期は、もはやただの同居人なのかもしれないと塞ぎ込む日々が長くて、とても辛かった。
しかも、その時期の私は、職場の人間関係にまで悩んで塞ぎ込み、社会不安症や適応障害を再発していた。
朝に目が覚めると、身体中がガチガチに固まったような感覚で、痛くて起き上がることができなかった。身体をさすりながら、やっとの思いで立ち上がっても、しばらく背中が曲がったままで歩けなかった。身体中が錆びて、ギギギ…と嫌な音を立てているような感じで、痛くて、悔しくて、情けなかった。
どうして、私はこうなんだろう、どうして、どうして…。二人なのに、一人きりな気分でいたし、自分のことしか考えていなかった。
そんな時、私にとって、愛犬マルの存在が唯一の生きる光だった。変な話、マルがいなかったから、私は何もかもを投げ出してしまっていたのかもしれない。

恋人でもない、家族でもない、宙ぶらりんな関係を続けていくことに、年々不安は大きくなった。かと言って、終わりにする勇気も、未来を話し合う意志もない。
ないないずくしの日々が、ただただ過ぎていった。

それでも、最終的に、私たちは一緒にいることを選んだ。

長い共同生活の中で、恋人同士だった日々や、すれ違いの日々を経て、ようやく気持ちをぶつけてお互いを理解しあえるようになったのは、ここ1年くらいのことだ。
さらに、適応障害のことや、私はHSPではないかと自己分析していることなど、私の特徴について、改めてきちんと話すことができたのは、この夏のことだった。

ここまで長い年月がかかったけれど、今このタイミングだからこそ、お互いを改めて知り、理解しあえる部分が大きかった。
やっと、心のモヤモヤが晴れて、喉の支えが取れた感じがした。
これまでの辛かった時期も無駄じゃなかったんだ、必要な試練だったと思うことができた。

今年はいろんな変化や試練があって、これから先もどうなるか分からないことばかり。
家族になって、これからもまた、いろんな変化や試練が訪れるんだと思う。その度に、理解し合いたいし、向き合っていきたい。当たり前だけど、当たり前じゃないことを大切にしていきたい。お互いと、それを周りで支えてくれる人たちを思いやっていきたい。

そんなふうに、これからも、二人と一匹の生活と向き合っていく。








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